安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

信心獲得した人は、「私は、五逆罪と法謗罪を造っているので、本願からもれている。」としか

思えなくなるのではないのですか? (しかばねさんのコメント)

しかばねさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

しかばね 2013/03/24 18:08
信心獲得した人は、「私は、五逆罪と法謗罪を造っているので、本願からもれている。」としか
思えなくなるのではないのですか? 
それが“第十八願を心得る”ということなのではないのですか?

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130324/1364073381#c1364116112


「本願から漏れている」ならば、助かったということはありません。それならば、私を捨てる阿弥陀仏と私を救う阿弥陀仏と二仏必要になってきます。
第十八願をこころうるとは、第十八願の一部をこころうることではありません。第十八願文全てをこころうるのです。


阿弥陀仏の第十八願を、別の言葉で言い換えますと「ただ今お前を助ける」というものです。それは、善導大師の二河白道の譬えで、西岸上からの喚び声として言われています。

また西の岸の上に、人ありて喚ばひていはく、〈なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉と。(教行信証信巻_
浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P224)

http://goo.gl/2pg6A

「なんぢ」と私に向かって呼びかけられています。「ただちに来れ」「なんぢを護らん」と「ただ今必ず救う」と喚びかかられているのが第十八願の心です。


前回のエントリーでも書きましたが,「唯除」とは「五逆と謗法の罪の重さを知らせる」お言葉です。決して「お前を助けないぞ」という言葉ではありません。なぜならば、「五逆」も「謗法」も罪の恐ろしさを知らないから造っているのであり、その恐ろしさを知るということは法を知るからこそ「恐ろしい」と知らされるからです。法を知らされたということは、すでに本願のお働きの中にある人間ということですから、「罪の恐ろしさを知らせる」とは、法の働きの中に引き入れ救うという阿弥陀仏の本願の心を言われています。 


親鸞聖人は、「唯除」を「本願から漏れている」とは読まれませんでした。

しかばね 2013/03/24 20:59
親鸞聖人の御文の解釈で、“心を変えさせて全ての人をもらさず往生させる”と、
山も山さんは言っておられますが、「心を変えさせて」ということは、信後の人は五逆罪と
謗法罪を造らなくなるということですか?
この「心を変えさせて」の意味も正確に教えて下さい。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130324/1364073381#c1364126375

信後の人は,五逆罪と謗法罪を造らなくなるということではありません。煩悩具足の凡夫ですから、縁があれば死ぬまで五逆罪、謗法罪を造る存在であるということは変わりません。


そこで「心を変えさて」について書きます。謗法罪については,親鸞聖人が教行信証に引文されていますが、本来「法を認めないもの」ということです。

問うていはく、なんらの相か、これ誹謗正法なるやと。
答へていはく、もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。(教行信証信巻(末)浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P298)

http://goo.gl/YDlkz

曇鸞大師の往生論註からの引文ですが、「無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法」と思っている人が謗法罪です。「仏」を阿弥陀仏と読めば,阿弥陀仏という仏もおられない、それを伝えられたお釈迦さまの法も何かの空論、したがって,菩薩もいなければ、菩薩の説く法もないと思っているのが、誹謗正法の者ということです。


そういう意味から言えば,未だ本願をまともに聞いていない人は、誹謗正法の者ということもできます。
そのような「本願といっても本当かしら」「阿弥陀仏といっても本当におられるのかしら」という私に法を知らせて下されるのは、南無阿弥陀仏のお働きです。そんな私が法を知らされるということが、「心を変えさせられた」ということです。しかし、本質的に智慧がないのが凡夫ですから、「阿弥陀仏がお釈迦さまのように判る」ということはありません。そういう意味で,死ぬまで謗法罪の者には違いありません。

しかばね 2013/03/25 16:55
山も山さんは、五逆と謗法の罪の「重さ」が“本願の力”で知らされると言っておられますが、
山も山さん自身は、五逆と謗法の罪の「重さ」を知らされていますか?
知らされているとしたら、どう知らされているのでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130324/1364073381#c1364198159

五逆罪については、親不孝の連続でしたので、それは大変なことをしていたと思っています。
また、謗法罪については、今まで南無阿弥陀仏とつねに呼びかけられていたにもかかわらず、それを知らずにずっと過ごしてきたことを、阿弥陀仏に対して申し訳ないと思います。


しかし、そんな私を見捨てず摂め取って捨てられない阿弥陀仏は、二仏とおられない仏様です。