安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

以名摂物録 後編(松澤祐然述)「16 負からんものは御助け一つ」

※このエントリーは、「以名摂物録 後編(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。

※原文には、今日の目から見て差別語とみなすべき語彙や表現もありますが、著者が故人であること、当時の説教本であることも考慮してそのまま掲載しています。

16 負からんものは御助け一つ

 引き続いてお話申す、本願の三信十念の思し召しに付いて。たのめと喚んで下されたのも、称えよと仰せ下されたも。我等に難題や注文を、御懸けなされた条件ではない。我等衆生に頂き易いよう、受け取り易いよう、易の徳を顕して下されたので。帰するところは、只の只で与えてやりたいという。発願回向の思し召しより、誓わせられた三信十念である、ということを詳しく御話し申しましたが。皆様は御解りになりましたか、定めて御不審に堪えない御方にも、多分あろうかと思われます。


 全体無条件救済じゃとか、このままなりの御助けとか、只の只の御助けなどということを。非常に嫌うて御座る御方もありますが。それは六字の御助けの、届いた形が信相である、というこことを知らずして。たのむや称うるという事を、助けて頂く条件のように思い込み。このままなりで御助けなどのあるものか。自力も離れ、疑いも晴れ、縋る思いを起し。決定の心もとって、かからねばならぬように、心得て御座るものゆえに。只の只というような話しが、甚だ御耳にさわるので、只の御助けなどということは、何処に悪かと。きつく責めつけて御出でなさることである。


 よって私は前席に於て詳しく御話しを致した通り。抑只でない御助けなどが何処にあるか、と詰問をするのであります。天地は広し、時間は長し、古往今来十方にわたって。条件付きの御助けじゃの、只でない御助けなどというものの、あるべき訳は決してない。条件のあるものや、只でない仕事なら御助けの真実義に悖っておることは。後生知らずの人々でも、解りきった話しである。


 然るに寺の御堂へやって来ると、普通の意識が欠けてしまうのか。ただしは御文や御和讃に向かうと、常識が麻痺でもしてくるのか。只の只の御助けということは、何処にあるかと。力み出さるるに至っては、甚だけしからんことである。


 皆様よ、よく考えて御覧なさい。一円の金を出せば助ける、反物一反出せば救うというならば。これは只の救済ではありますまい。只の救済でないかわりには。金を出せの、反物出せのという御助けなら。真実の御助けでないことは、明瞭でしょう。どおせ真実でないものなら、金や反物は取れば得じゃで、出せというにも理屈はあるが。たのむ称うるということは、糟にもならぬ品じゃのに。糟にもならぬ事柄を、弥陀が助ける条件に持ち出して。たのめば助ける、たのまねば構わぬという、仰せであるとして見ては。金や反物を出せというより、一層つまらん御話しで、いかにも衆生の気なぶりして御座る、滑稽的勅命となってしまいます。


 サァこれほどまでに御話しを、しつくしても。未だに御言葉に迷こみ、たのめよ称えよの真意を知らず。これを条件の如く心得て、たのまにゃならぬ、称えにゃならぬと、心配して御座る御方々のために。私は今日も思い切り。米価暴騰について、安米の出る世の中じゃもの。自力暴騰で難渋して御座る御方のために。極楽参りの安米売り、飽く迄只の只として、店を開いてみましょうか。

「サァ皆様、たのむも、称うるも、全く、断然、決して、何にも要りません。」
「是は珍しい、たのむも称うるも要らんとは。」
「何が珍しい、親が我が子を助けるに、子供のたのむは、何にする、要らん要らん。」
「成るほどたのむも、要りませんか。然らば喜んで、安心しておれば、夫れでよいのですか。」
「その喜びも要らん、安心して負けてやる。」
「是は意外、喜びも要らんとすれば。只疑わんでおればよいのですか。」
「その疑いも負けてやる、疑いたくばチョコチョコ疑うておいでなさい。」
「是は妙じゃ、然らば自力雑行は。」
「ウムそれも御負けにしておこう。」
「一心一向は。」
「それも負けておく。」
「すがる思いは。」
「それもお負けじゃ。」
「えらいお負けでありますなぁ」
「素よりの事よ、この物価騰貴の今日に、お安いものは御布施と賽銭ばっかりじゃ。その賽銭のもとは本願名号じゃのもの、安い御負けは知れたこと。安堵もまける、決定もまける、二心も負ける、助けたまえも負けてやる。」
「然らば残らず負けて下さるか。」
「マッタ!暫く!残らず負けてもやりたいが。金輪際の底までも弥陀の手元で負からんものが一つある。」
「それは何でありますか。」
「負からんものは御助け一つ、是を負ければ弥陀の商売潰れてしまう。」
「それは御免を蒙りたい。」
「御免というても、弥陀は助ける。」
「それでは逃げる。」
「逃げよば逃げれ弥陀は後から追うてゆく。一世でならずば二世三世。生々世々はかかっても、助けるだけは負け引きならん。負けずに助ける本願を。南無阿弥陀仏と成就して。逃げる衆生を追い回し高座のもとまで引き寄せて。聞かせにゃおかんの念力で。聞く気のなかった腹底へ、このままなりの御助けが、南無阿弥陀仏であったかと。届いた一念世話いらず。負けて貰うた信相が。一時に具わる早手際。たのんで、まかせて安堵して。一心一向余念なく、縋る思いの有りだけも。要るので出来たのでもなし。要らぬでやめて。おけもせず。要るの要らんの沙汰尽きて。安心報謝ことごとく。南無阿弥陀仏のおはたらき。この機に世話のいらぬのが、他力づくめの三信十念というものである。」