安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「助かりたい」という人がなかなか助からない理由を考える

なかなか自分は救われないと思っている人が実は実は一番「自分は救われる」と思っている(頂いた質問より) - 安心問答(浄土真宗の信心について)に追記します。

今回は、短い文章で書きます。
「助かりたい」と思いながら「なかなか助かりません」と言っている人の心情を考えてみます。

私自身もそう考えていましたが、「自分は○○だから助からないのだ」という考えにとりつかれている場合が多くあります。しかし、この考えは「自分はこうだから助からない」という理屈を正当化しているに過ぎません。
言い方を変えると、「これ以上なにかをして助からなかったら自分には何も残らない」ことを心配しているだけです。なぜなら「○○だから助からない」と言っている間は、「自分は助かる」という可能性の中に生きることができるからです。

そうすると「自分は○○だから助からない」けれど「○○できたら助かる」という理屈に自分をおくことになります。そうすることによって、その人に何の利点かあるのかといえば「○○しても助からなかった自分」という現実を回避するだけのことです。そうして自分を守って生死を繰り返して何の意味があるのでしょうか?

仏願の生起本末から言って、貴方は自分の力で生死を離れることはできません。
○○しなかったから助からないという本願ではありません。「○○しなかったから助からない」と本願をはね付ける者は救われないということです。

自分をいまさら守るよりも、ただ今助けるの仰せを聞いて下さい。いつまでも逃げ回っても解決はありません。