「南無阿弥陀仏が信心であると聞いた事がありますが、どういう意味かよく分かりませんでした。どういう意味でしょうか?」(頂いた質問)
南無阿弥陀仏の名号と、信心は別のものではありません。
名号は、私を助ける法であって、信心はその助ける法が私の機の上で働いている状態をいいます。
それを歌にされた法然聖人の歌を紹介します。
「月かげのいたらぬさとはなけれども ながむるひとのこころにぞすむ」(御一代記聞書)
http://goo.gl/H3j9hS
(現代文)
月の光の届かないところは一つとしてないが、月はながめる人の心にこそやどる。
月に例えられたのは、南無阿弥陀仏の名号法です。その月の光が、水面に写りこんでいるのが信心です。
そもそも月が存在しなければ、水面の月も存在することはありません。天井の月と、水面の月は、全く別物ではなく一体のものです。
そのように、南無阿弥陀仏の名号と信心は、不二一体の関係です。
信心決定とは、自分が法を聞いて信心を間違いないものにするのではなく、間違いない法を聞いた事をいいます。