安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「なるほどそういうことなのねという感じで合点はいくようになってきました。しかし、疑いない状態になかなかなりません。」(Moonさんのコメントより)

Moon 2013/12/19 23:02
最近の安心問答を読ませていただき、親鸞会にいた6年前からみれば、、なるほどそういうことなのねという感じで合点はいくようになってきました。
しかし、疑いない状態になかなかなりません。
こんな感じの私ですが、早く皆さんのようになりたいです。

Moonさんは、退会して6年ですか。私とほぼ同時期に会を辞めた方だと思います。5年6年も経って、親鸞聖人の教えられたことを改めて聞いていけば段々と合点されるところは多いと思います。

そこで、「疑い無い状態になかなかなりません」とのことですが、ただ今必ずなれるようになっているのが阿弥陀仏の本願が成就しているということです。それが、南無阿弥陀仏の六字名号が現にあらわれておられるということです。


また「疑い無い状態になかなかなりません」とは、「疑い無い状態を想定」して「そこへ向かって進む」ということを言われているのだとすれば、それは違います。(本願に)疑い無い状態を想定して、そこに向かって「進む」という考えは捨てられたらいいです。


「聞きに行く」のではなく「聞く」のが本願招喚の勅命です。親鸞聖人が「聞いて」「聞きて」といわれるのも、私が「聞きに行こう」と思うより先にすでに阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏(助ける)」と呼びかけられているからです。既に呼びかけられている以上は、その仰せを「聞く」よりほかにありません。


そこで、少しお尋ねしたいのですが、Moonさんの言われる「疑いない状態」とはどんな状態を指して言われていることなのでしょうか?考えたままをお知らせください。

Moonさんのコメントに対する、他の方のコメント(エントリー投稿時点)

もかな 2013/12/19 23:13
>早く皆さんのようになりたいです。・・・こういうお気持ちがある時点で、必ず一味になれますよ。(^◇^)

とくよしみね 2013/12/19 23:51
必ず、聞けます。

なぜなら、私より阿弥陀様の願いの方が強いからです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

たかぼー 2013/12/20 10:25
上に同じ。「信のある人と同じになりたい」と思う心は如来の本願力に然らしめられているのです。だから「信のある人と同じになりたい」と思う人は必ず今生において往生が決定し、必ず次生において仏になれるのです。直ちにすくい取るという如来の願心(大悲心)にどうか触れて下さい。祖師は信巻に華厳経の「・・もし仏法を聞くに厭足なし。もし仏法を聞くに厭足なければ、かのひと法の不思議を信ず。・・」というご文を引用されています。「信のある人と同じになりたい」と思う心がある人は如来の救いの法を聞くに厭足のない心になれる人です。