安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「親の家じゃ、遠慮は要らん、そういうお前は義子じゃろといって嗜めたという。阿弥陀様はよそよそしいお方ではない」(シさんのコメントより)

シさんよりコメントをいただきました。有難うございまいした。

2013/04/12 04:29
庄松さんの話がありますね。
寺の本堂で寝転がって咎め立てされると
親の家じゃ、遠慮は要らん、そういうお前は義子じゃろといって嗜めたという
阿弥陀様はよそよそしいお方ではない

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130411/1365622489#c1365708541

コメントを頂いて「庄松ありのまま記(永田文昌堂刊)を見てみました。該当場所を紹介します。

右の段は庄松。富田村の菊蔵と、三本松勝覚寺へ参詣し、庄松が本堂で横に寝たれば、菊蔵これを咎めければ、床松の曰く「親の内じゃ、遠慮には及ばぬ及ばぬ、ソーイウおまえは、養子であろう」
これは御本山へ参り横に寝て、親の内じゃ、遠慮には及ばぬという喜び振り、既に外にもあれども、ソーイウおまえは養子であろうの一言は、一層うわての喜びぶりなり。(床松ありのまま記 P27)

親子関係が悪い人であっても、ある意味実家というのはそれ以外の場所に比べれば気を抜ける場所ではないかと思います。まして、阿弥陀さまの前では、実家以上に気遣いはいりません。


就職面接のような気持ちでいれば、お互い心が伝わらないものです。「ここで失敗したらもうアウト」という気持ちは、私の側で勝手に作り上げたものです。阿弥陀様はそんなことを一切気にされません。


どれだけ私が信用できなくても、阿弥陀仏は私を信用してくださいます。ただ今救うの仰せにしたがって、ただ今救われてください。