安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「御文章5帖目第5通の「信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり。」とはどういう意味ですか?」(しかばねさんのコメント)

しかばねさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

しかばね 2013/03/22 16:23
御文章5帖目第5通の「信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり。」とはどういう意味ですか?

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130318/1363597892#c1363937019

お訪ねの部分は御文章5帖目5通です。コメントの少し後の部分まで引用します。

信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。(御文章五帖目五通)

http://goo.gl/CvKdp

ここで「第十八の願をこころうる」とは、「南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり」と言われています。これが、今回のお訪ねの回答です。


そこで「南無阿弥陀仏のすがたをこころうる」とはどういうことか?いわゆる「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」と同じことです。


南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏が自らの力では生死を離れることができない私を憐れに思われて建てられた本願が成就したすがたです。自らの力では生死を離れることができない私のために、阿弥陀仏が南無阿弥陀仏となって私に喚びかけてくだされる、その声を聞いて疑い無いものは必ず浄土に生まれさせるというものです。


では南無阿弥陀仏とは何かといえば「ただ今お前を助ける」という阿弥陀仏の喚び声です。「ただ今お前を助ける」という言葉を聞いて「ただ今私が私が救われる」となったことを「第十八の願をこころうるなり」と言われています。


しかばねさんは、南無阿弥陀仏とか、第十八願と聞いてどのように思われていますか?よろしければコメントをお願いいたします。