安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

一ヶ月ごとに教義が変わる高森顕徹会長(宗教法人浄土真宗親鸞会会長)3月座談会と、4月22日座談会で無碍の一道の説明が変わった件

前回のエントリーで、高森会長の「仏願の生起本末」の説明がころころ変わっていることを書きました。

3月、4月の「歎異抄をひらく」についての高森会長の座談会は「無碍の一道」についての話でした。
同じ無碍の一道についての話でも、たった一ヶ月で、説明が変わっていることが、顕正新聞平成24年5月1日号(3月の座談会の法友通信記事)と4月22日のテレビ座談会参加者から頂いた情報を照らし合わせるとよくわかります。

以下、顕正新聞平成24年5月1日号より

無碍の一道
一切が障りにならぬ幸福
一切=三毒の煩悩・顛倒の妄念
障り=浄土往生の障り

法友通信より
広島県 会員
(略)
仏教でいう「障り」とは、その往生浄土の障りだけをいう、とお聞きしました。

これに対して、4月テレビ座談会での会長の説明

会長「障りというのは後生の一大事、この後生の一大事ということがわからないと無碍の一道と言ったってわかるはずない。
後生とはなにか、このまえはそれだけで半日かかった。
(人生の目的がわからないことが一大事)
これがわからないと無碍の一道わからない」(平成24年4月22日テレビ座談会より)

アシスタント「先日、後生の一大事とはどういうことかについて、飛行機の譬えでおしえて頂きました。(略)
飛行機が飛行場を飛び立ったのは、あくまでも降りるため、どこかに着陸するためでありますから、最も大事な着陸地点、目的地が分からないということはこれはたいへんな一大事であります。飛行機で言えば一大事ということになります。そのことを仏教では「後生の一大事」といいます。
(略)
この譬えで、目的地が弥陀の浄土と教えて頂きました。この障りは、飛行機の譬えで言うとどこに降りるか分からない状態が、障りだというふうに理解してよろしいでしょうか」
高森会長「そうそう」
アシスタント「有り難うございました」
高森会長「阿弥陀仏に救われたならば、無碍の一道と親鸞聖人は仰っておられる。その障りとは、後生の一大事がなくなって、往生一定となったのが無碍」(同上)

読まれて分かるように、「無碍の一道」の「碍」についての説明が、一ヶ月で全く変わっています。特に、4月22日テレビ座談会の説明は間違いです。なぜ、このような違う説明をするのかといえば、「大学1年生の参加者を親鸞会に入会させる為」です。なぜならこのテレビ座談会の翌週から大学新入生対象のが合宿が行われるからです。上記のような説明は、高森顕徹会長のある意味「代表作」である「なぜ生きる」に沿った内容です。

「なぜ生きる」に書かれている内容は、一言でいうと「人生の目的(なぜ生きる)が分かれば、全部幸せになれるよ」という、親鸞会が大学生を勧誘する言葉にあらわすことができます。しかし、親鸞聖人の教えは、阿弥陀仏の本願であり、阿弥陀仏の願いです。私の願いを叶える教えではありません。

最後に、無碍ということについて、親鸞聖人は、歎異抄7章にも書かれていますが、今回は「尊号真像銘文」から紹介します。

「無碍」といふはさはることなしとなり、さはることなしと申すは、衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。(尊号真像銘文・浄土真宗聖典(註釈版)P651)

http://goo.gl/HQFgN

ここで言われていますように「無碍」とは、「衆生の悪業煩悩にさへられざる」また「衆生の善悪に障げられない」阿弥陀如来の救済力をいわれています。

高森会長の4月の座談会の説明のような、「後生の一大事(行き先が分からない飛行機のようになぜ生きるかがわかからないこと)」障りとか、無碍と親鸞聖人は言われていません。

このエントリーを読まれた方の中には、昨日までの親鸞会主催合宿に参加された人もあるかもしれませんが、すぐにそのサークルを名乗っている親鸞会を辞めることを強くお勧めします。