安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

前回に追記:歓喜について

信心決定した上に喜ぶ心があるのは間違いないことですが、「喜べないような信心は間違いだ」というように、「喜べたかどうか」を「信心の有無」の判定基準のように考えるのは間違いです。

信心はあくまで「本願を聞いて疑う心のない」無疑心であって、信心=歓喜とはいいませんん。もし「信心=歓喜」とするならば、往生が定まるのは「信心正因」でも「歓喜正因」でもいいということになってしまいます。しかし、真宗では「信心正因」といっても「歓喜正因」とはいいません。

なぜなら往生が定まるのはあくまでも阿弥陀仏の本願力であり、南無阿弥陀仏を聞くひとつだからです。

歓喜初後の論題については、また勉強しなおしてエントリーにまとめたいとおもいます。