安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

質問者「雑行について教えて下さい」→会長「質問に答える前に言っておく。私の言うことは絶対命令だ。納得できるとか出来ないとかいうのは、純粋な会員ではない」→「・・・・」(9月18日座談会参加者より頂いた情報)

9月18日(日)親鸞会館(富山県射水市)で、教学の座談会が行われました。参加された方より情報を頂きましたので、気になったところを紹介します。
内容については、すでに「親鸞会は、外道の法か秘事法門: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~」でも紹介されています。

16回にわたって続いた「一念多念証文」の「八万四千の法門は〜」が終わり、今回から廃立についての質問が出ていました。

質問「廃立の中の雑行、雑修、自力の心について詳しく聞きたい」
会長「雑行とは何か?という質問だね。どうして、雑行が知りたいのかね」

こうして、雑行の説明をするかと思えば、どうしたわけか、御一代記聞書の

一 前々住上人へある人申され候ふ。開山(親鸞)の御時のこと申され候ふ。これはいかやうの子細にて候ふと申されければ、仰せられ候ふ。われもしらぬことなり。なにごともなにごともしらぬことをも、開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふと仰せられ候ふ。(御一代記聞書159)

の話が始まりました。

以下、会長の話より抜粋。

なんで親鸞聖人はそんなことをされたんですか
そのとき蓮如上人は、それはこういうことがあってなされたんだと説明されるかと思っていたところ、「われもしらぬことなり」
私も親鸞聖人なぜそのようなことをなされたのかわからない。
「なにごともなにごともしらぬことをも、開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふ」
よく納得できました。私もやりましょう。それが普通なんですね。納得できないことはやりません。そんな態度とは蓮如上人は全く違うんですね。
今日では、なんで増税なんだ、納得できる説明がなければ、選挙で投票しないぞと言っている。

戦争負けるまでは、「納得できようが出来まいが天皇の命令!」ということで、みんな押し切られた。「天皇の命令!お前らは民草だ、納得できるできないなんてもったいないことをいうな、絶対命令。朕が命と心得よ。」
上官が命は、朕が命と軍隊では言われていた。
天皇の命令となってくると、理屈抜きだから。納得できようができまいがそんなことは関係ない、絶対命令。上官の命令は天皇の命令と思え。一階級上の人の命令は、そういうように日本の兵隊は教えられていたので、戦争に強かったといえば強かった。

そんな時代から、戦争負けてからがらっと民主主義となりました。
国民が主人公、天皇が主人公から国民が主人公になった。主権在民、それが今日なんです。

だから蓮如上人のこんな言葉をきくと、こんなことでいいのか?
「私もわからん、だけど親鸞聖人のされたことに間違いはないんだから」こういう蓮如上人の、親鸞聖人の信じ方、これは理屈抜きなんです。こういう信じ方は、今日なら、それは盲信やないか。こう言われても仕方のないことですね。

じゃあ蓮如上人は、親鸞聖人を絶対間違いないお方と、自分が分かる分からん、そんなことは関係ない。
自分が分からないと言うことは、自分が愚かだからわからんので、
「燕雀何ぞ大鵬の志を知らんや。」ばんちく雀には大鵬の心は分からない。
「猫は虎の心を知らず」とも言われる、猫と虎はよく似ている。だけど、虎の気持ち猫がわかるか。猫の分斉で虎の心が分かるかと、こういわれるように、蓮如上人は親鸞聖人の教えられていることは絶対だ。分かるわからない、そんなものではないんだとこのように、私もわからん。なんでそんなことをなされたのか、分からんけれども、間違いのない親鸞聖人の言われたことだから、なされたことだから私らもその通りやろう。こういうこの、親鸞聖人に対する信じ方。蓮如上人の、純粋な親鸞聖人に対する気持ち、これで分かりますね。
皆さんは、自分にそんな人がこの世にあるか?
アシスタントO「はい、あります」
誰のこと?
アシスタントO「親鸞聖人です。親鸞学徒ですから、」
誰のやること、誰の言うことでもそうだということでないんで、蓮如上人の場合は親鸞聖人の言われることならばということで、誰の言うことでもということではない。

盲信が必ずみな悪いことではない、正しい人になら、盲信してもいい。
(略)
あの人になら、だまされてどんなひどい目にあっても後悔しない。満足だ。そんな人のあるひとは、こんな幸せな人はいない。こんな人の信じ方はできないんですね。私たちは、なぜならば、人を信じるときはだまさない人だという大前提で人を信じるんですから。
だまされて後悔しないという人にめぐり合いたいものです。
そういう人を持ちたいものです。
(略)
これが純粋な信じ方なんですね。
だましたら恨むぞということはね。純粋とはいえない。だまされても後悔しない。さらに後悔すべからず候。(9月18日二千畳座談会での会長の発言より)

長々といっていますが、要約すると「この私(天皇、大鵬、虎)の考えは、会員(民草、燕雀、猫)は分からないのだから、分かるとか分からんとか言わずに従え。絶対命令だ。それが純粋な信じ方であり、真摯な会員だ。ついでに、上司の指示は、私の命と心得よ」という会長の主張です。

どんどん各地区に会館を建てたり、建物を造るのも、募財が際限なく続くことも、会長がいうところの「教え」に納得できなくても、「分かるとか分からんとか言わずに従え」と言いたいようです。
750回忌は真摯な親鸞学徒でないと参加できない*1そうですが、会長が考える「真摯な親鸞学徒」は、上記のような人だそうです。

私がかつて親鸞会講師部に在籍していた経験からすると、このように、話の脈絡に関係なく会長が何かを話するときは、大体会場にいる講師部員に対するメッセージである場合がほとんどです。このようにわざわざいうような問題が起きたのでしょうが、わざわざ遠方から来た会員は、そんなことを聞くために来たのではありません。

そもそも座談会の場で、冒頭に「納得できても出来なくても従え」「分かるとか分からんとか言ってはならない」では、座談会の意味はありません。
「分からないことをお尋ね下さい。ただし、分かるとか分からんとかいうのは純粋な会員ではありません。」と言っているようなものです。

座談会の内容そのものもまた、気になるところがありますが、また次回に書きます。

*1:こんなことが言いたいより