安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

親鸞会発行教学聖典6号掲載「当流は廃立肝要なり」(御遺言抄)が掲載された「親鸞聖人御遺言法語」という本を見つけた件※修正

※追記・修正有り

親鸞会発行教学聖典6号(25)に出典不明の御文と根拠があります*1*2

問(25)
「捨てもの」と「立てるもの」をハッキリ教えることを「廃立」と言うが、親鸞聖人の教えは 「廃立」 であることを明言された、親鸞聖人と覚如上人のお言葉と、その根拠を示せ。
答(25)
○当流は廃立肝要なり。(御遺言鈔)
○真宗の門においては幾度も廃立を先とせり。(改邪鈔)

この「当流は廃立肝要なり(御遺言鈔)」は、浄土真宗聖典(註釈版)にも掲載されておらず、ネット検索をしても親鸞会関係者のサイトやブログしかヒットしませんでした。

どこにあるのだろうかとずっと思っていましたが、先日洗心書房に行った際、思いがけずその御遺言抄(書名は「親鸞聖人御遺言法語」出版はヨコノ書店・定価350円)を見つけました。

ただし、この「親鸞聖人御遺言法語」は正式な親鸞聖人のお言葉とされたものではありません。ご縁のある真宗の学者の方に聞いてみたところ「親鸞聖人の書かれたものとして、そんな御聖教があることは知らない」と言われました。


実際に、この本の1ページ目にもありますが、親鸞聖人の直筆ではありません。教名というお弟子の伝聞という形で書かれています。

親鸞聖人御遺言法語|名真宗授要績編
 釈 教名集
一、ある時それがし教名に対しましまして仰せられてのたまはく


これが本当に親鸞聖人が仰ったこととする文献は現在の所ないようなので、親鸞聖人のお言葉とは認められていません。


肝心の親鸞会発行教学聖典6号の部分ですが、前後を引用します。

行者の力を添え励むを自力の行人とは申すことにて候。当流は廃立には肝要なりと知るべし。この謂われを覚悟せさせたまはば一句の法をもきき一巻の聖教を御覧せさせたまふとも仏智の不思議にて、自ら方便の仮門をすて離れて法の真実に入らせたまはば、無量劫来の愚禿満足たるべしと仰せられ候。(p4−5)

これによれば、親鸞聖人が「自ら方便の仮門をすて離れて法の真実に入れ」と勧められているお言葉だということになります。方便を実行せよとはいわれていません。

ただ、この御遺言抄の根拠については、私が親鸞会在籍時に、教学課長に聞いてもどこにあるのか知らないと言っていました。このご文は、親鸞会内部で「会長のみぞ知る」という不思議な根拠になっているようです。(誰も会長に尋ねないところが親鸞会らしいところですが)

親鸞会弘宣局の誰かがこのエントリーを読まれていたら、教学聖典6号25番の問いと答えを修正することを強く要求します。

追記

タイトルと本文を修正しました。
理由は、ヨコノ書店さんに対するイメージが誤解を与えるものだったと判断したためです。