安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

6月4日・5日親鸞会降誕会の内容で気になっこと(磯長の夢告について聖人直筆資料があった?)

6月4日(土)5日(日)に親鸞会観で降誕会が行われました。参加された方から情報を頂きました。有り難うございました。

頂いた情報から、少し気になるところを紹介します。

2日目午前の内容より(磯長の夢告について)

親鸞聖人19才の9月のことです。13日から15日まで。3日間です。飲まず食わずで磯長のご廟で聖徳太子に祈られたのは、親鸞のこの生死の一大事を解決できる道を教えて下さい。こういう事であったのです。
飲まず食わずで三日三晩おられたので、15日に失神せられた、意識を失われた。
これはみな親鸞聖人が日記のように書き残されています。
ところが14日の晩の夜中の2時、これも親鸞聖人書き残されています。夢を見られたんです。
(中略)
聖徳太子が親鸞聖人に仰ったお言葉、それも親鸞聖人ハッキリと自らの筆で書き残されています。これを磯長の夢告といいます。

これを読んで私は、磯長の夢告の日時を随分正確にいうことと、親鸞聖人直筆の資料があるところで、違和感を覚えました。

磯長の夢告について、親鸞聖人直筆の資料はないと私は記憶していたからです。(もし違っていたらすみません)
ネットで調べると、以下のサイトが出てきました。
真宗史学研究所【05】磯長の夢告 - 親鸞聖人伝 | 真宗史学研究所

こちらは「真宗史学研究所」という所在が不明な研究所のサイトです。ナツメ社発行の「図解雑学・親鸞聖人」が著作になっています。

高森会長は、上記のページを読んで準備をして降誕会で話をしたのだと思われます。私が親鸞会に在籍していた頃、磯長の夢告について日付まで話をしたことは聞いたことがありませんでした。ただ、上記のページにもありますが、磯長の夢告の記述がある「親鸞聖人正統伝」や「親鸞聖人正明伝」は親鸞聖人の著作ではありません。それとも、事前に準備をした高森会長は「親鸞聖人正当伝」「親鸞聖人正明伝」を、親鸞聖人の著作だと思ったのでしょうか?
※親鸞夢記という資料もありますが、親鸞聖人直筆ではないといわれています。

参加された方から、「磯長の夢告は、真宗聖典のどこに載っているのかと周りの人で議論になったけど誰もわからなかった」という話を聞きました。少なくとも、法蔵館の真宗聖典や、浄土真宗聖典(註釈版)にはそのような資料はありません。

当日の演題は「恩徳讃」でした。高森会長に本当に恩徳讃の気持ちがあるなら、いい加減なことを断言するまえに、きちんと勉強をするべきです。批判される「善の勧め」を言わなければよいというものではありません。