安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

この「そのまま」は御聖教の言葉だと何になるでしょうか?(うおーんさんのコメント)

うおーんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

また一つ教えてください。
とくよしみね様も仰っておられるのですが 真宗のご法話でも「そのまま救う」ということを聞きます。
この「そのまま」は御聖教の言葉だと何になるでしょうか?(うおーんさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110830/1314694928#c1314827706

ただ今救うには、「そのまま」救う力がなければなりません。

ここで「そのまま救う」と言った場合は、「私の力を必要とせずに救う」という意味です。阿弥陀仏が私を救うに当たって私の手助けが必要ならば、「現在の私になにか行を加えた状態」に私がならなければなりません。


御聖教の言葉でいいますと、「そのまま救う」は、本願文や、本願成就文の「聞其名号」となります。
南無阿弥陀仏で救うと誓われています。南無阿弥陀仏一つで救うと言うことは、全く阿弥陀仏の本願力一つで救うということであり、私の手助けは全く必要ありません。

この南無阿弥陀仏が私を救って下さる働きがあるのであって、他には私が往生する手助けになるようなものは一切ありません。

しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。(教行信証行巻・浄土真宗聖典(註釈版)P146

南無阿弥陀仏が、すべての無明を破って下さり、往生の願いを満たしてくださいます。
そこに、私の行を加える必要はありませんので、私の側からすればそのまま救われると言うことです。

「○○をしてから」「○○な人になったら」救われる本願であれば、本願に漏れる人が出てきます。私一人が救われるのは、「○○」という条件なしに、南無阿弥陀仏一つで救うと呼びかけて下さるからです。それを聞いた側では「そのまま救うぞ」と聞いているのです。