安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

信心について(七里和上真宗安心示談:洗心書房 より)

アドウチさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
コメントの内容については、明日の朝5時までにはエントリーを書きますのでよろしくお願いします。(仕事の関係です)

コメントの内容にも関係していることなので、「七里和上真宗安心示談:洗心書房」より転載します。(現代仮名遣いにこちらで変更)

ある人問うていわく「信心とは如何(どういうことでしょうか?)。」
(七里)和上答えていわく「御助けに疑い晴れたが信心というべし」
ある人いわく「しからばその疑い晴れるとは如何?」
和上いわく「疑ってはならぬといえばなお疑う故に、願力の御不思議で御助け下さるに間違いないと信ずるばかりない、夜の明けたとき明けたと信じ、暗きとき暗きと思うが如し、明かりを暗しと思えと云うとも、心はそう思わぬ。
 東京にいる者が病気して、如何と案じいるところへ、その病気が全快したとの手紙が着いて疑い晴れた如く、願力の御不思議で御助けと間違わぬ事が信ぜられたのが疑い晴れたのである。」(七里和上真宗安心示談P42:洗心書房)

私の方で何か智慧を使って分かったと言うことではありません。
如来の本願に疑い晴れたことを信心と言います。