畑さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
「地震で苦しむ人々がいるのをみて仏さまがいるのなら、こんな人こそ救ってくださるのが当然じゃないの。
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110402/1301692003#c1301746778
あんなに苦しんで死んでいく人がいるのは、仏さまなんていない証拠」という人がいます。
このような人に阿弥陀さまのことをなんと話したらよいものでしょうか。(畑さんのコメント)
「仏さまなどいない」と考えておられる方に、どう話をするかということで考えて見ました。
今回の地震で亡くなられた方や、家族を亡くされた方、家を失った方、不便な生活を続けられている方を報道で見ると、私も大変心が痛みます。相手の方が地震被害の当事者かどうかはわかりませんが、そういう状況に対して、自分が何も出来ないことを悲しまれているのかも知れません。
「自分でも何かしようと思うのだから、救う力のある仏さまなら何かしてくれるはずだ、何もしてくれないのは仏さまがいない証拠だ」という主張だと思います。
何の話をするかと言えば、阿弥陀仏とはどういう仏様なのかを話をするのがよいかと思います。仏法の話をすると言っても、それ以外に話をすることはありません。
阿弥陀仏は、私を助けるために現れて下さった仏様です。「阿弥陀」という名前は、「あなたを助けます」と名告られた名前です。
その「あなたを助けます」という名告りは、どこから来たかと言えば、大慈悲の本願からでてきたものです。仏様の目からご覧になると、私は母に対する一人子のように、常に可愛く苦しんでいるとなれば何とか救ってやりたいという存在なのです。
二つには念ずべし、慈眼をもつて衆生を視そなはすこと、平等にして一子のごとし。ゆゑにわれ極大慈悲母を帰命し礼したてまつる。(教行信証行巻より・源信僧都『往生要集』引文【64】浄土真宗聖典(註釈版)P184)
阿弥陀仏が私をご覧になるのは「一子のごとし」です。「極大慈悲母」と阿弥陀仏のことを言われています。
大慈悲があるからこそ、「あなたを助けます」という願いをもたれ、願っただけでなく実際に私を助けるために働いておられます。それは、目には見えませんが、常に「南無阿弥陀仏」と名告られて私の口から出て下さっています。
仏様はいないのではなく、私の目に見えないだけです。
常に働いて私を救って下さる証拠が、この南無阿弥陀仏です。
「一子のごとし」ですから、一人一人に阿弥陀仏は南無阿弥陀仏となって「なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。」と呼びかけておられます。特別な人だけでなく、一人一人に呼びかけておられます。
畑さんに、また畑さんの相手の方にも呼びかけておられる証拠が南無阿弥陀仏です。
相手の方がこの話を聞いてどう思われるかは分かりませんが、私が畑さんと同じ立場であったならばどう話すかを考えて見ました。