安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「でも、疲れて横になっている時とかには口に出す気力はないけれど南無阿弥陀仏と心で思うときはあるよ。分からないんだ。阿弥陀仏の救いがどんなものかも、自分が救われたいのかも。」(死人さんのコメントより)

死人さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

死人 2013/06/13 20:31
コメントをくれた人たち、山も山さん、どうもありがとう。
僕は頭が悪いのか、よく分からないことが多いけど全部読ませてもらっている。

今日、日本で何十人の人が自殺したか分からないけど、死にたくて死んだ人は一人もいないと思うよ。
初めから死にたいわけじゃない。
頑張って頑張って、それでもどうしようもなかったから死ぬんだよ。
死んだ後なんて分からないし、怖くないわけはない。
でも、苦しすぎて辛すぎて疲れすぎて、もうこれ以上生きられないから死ぬしかないんだよ。
この世にだって地獄はあるんだ。
3年ほど前、2ちゃんねるのスレでクイズ君って人が自殺する瞬間までのやりとりがあって今でもユーチューブとかに残ってるんだが、誰も彼を救えなかった。
彼の気持ちはよく分かる。
どうしようもないんだよ。
人間は独りだし、生きたければ自分でなんとかするしかない。
よく分かっている。
でも仕方ないんだ。
生きられない人間もいる。
なのに、未練がましくここにいる自分にも嫌悪感を感じているんだ。
僕が死ぬときはどこかの掲示板に書いたり、誰かにメールするようなことはしない。

僕は、君たちを妬んでいるのかもしれないな。
確かに僕は、この世に神も仏もないと思っている。
過去の記憶がフラッシュバックして気を失ったり、パニックになって腕を切ったりしてばかりで
自分の辛い気持ちに向いてばかりだ。
でも、疲れて横になっている時とかには口に出す気力はないけれど南無阿弥陀仏と心で思うときはあるよ。
分からないんだ。
阿弥陀仏の救いがどんなものかも、自分が救われたいのかも。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130613/1371069781#c1371123067

死人さんが、「南無阿弥陀仏と心で思うときはある」と言われたことが、今回のコメントで私が一番うれしかったところです。なぜそう思ったかわからなくても、そう思ったのは阿弥陀仏の願力が死人さんに届いている証拠です。


死人さんの言われるように、毎日この日本で多くの人が自殺しています。誰にも言えず、死にたくないけど死んでいく人ばかりだと思います。私は、ほとんどの自殺者および自殺未遂の人と面識も接点もありません。もちろん、接点があったからといって、自分の力で自殺が止められるという自信もありません。


しかし、こうやって縁のあった友人(勝手に私がそう思ってます)が、私に黙って死んでいくのが嫌なのです。そんなのお前の勝手な思いだろうと思われて、「思いが重い」と思われても結構です。私が死人さんのコメントを読んで思ったことは、「未練がましくここにいる自分にも嫌悪感を感じている」とか「分からないんだ。阿弥陀仏の救いがどんなものかも、自分が救われたいのかも」という部分から、死にたくないという思いとか、こんな自分は格好悪いという自尊心です。


そうやって苦しむのは、生きていくことについての望みであり、自分でつくった檻に自分を閉じこめている相です。

阿弥陀仏も、親鸞聖人も、「自分を信じるな、阿弥陀仏・南無阿弥陀仏を信じなさい」と勧めておられます。

(1)
弥陀の本願信ずべし
 本願信ずるひとはみな
 摂取不捨の利益にて
 無上覚をばさとるなり(正像末和讃1_浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P600)

http://goo.gl/w9LQj

阿弥陀仏の本願を信じなさい、本願にまかせる人はみな、私をおさめとって捨てられないお働きによって、浄土往生して仏の覚りを開くことができるのだと言われています。


南無阿弥陀仏は、「私を信じろ」「私(阿弥陀仏)にまかせよ」という阿弥陀仏の呼びかけです。よくよく考えて見ると「阿弥陀さま助けてください」という言葉が出るのなら分かりますが、「(阿弥陀仏が)私を信じろ」という言葉が自分の口から出てくるのは何とも妙な話です。


そして、「阿弥陀仏を信じろ」ということは、裏を返せば「自分を信じるな」ということです。「自分を信じる心を捨てよ」ということです。そう言われるのは、阿弥陀仏が「必ず救うから安心しなさい」と言われているからです。言葉を変えれば、「安心して絶望せよ」が南無阿弥陀仏の仰せです。


念のために言っておきますが、それは「自殺をせよ」ということではありません。阿弥陀仏にまかせきれない「自分への望み」を断ち切って阿弥陀仏にまかせなさいということです。貴方が死んだら、阿弥陀さまが悲しみます。阿弥陀さまのことが分からなくても、私が悲しむことは知っていて下さい。そういう訳なので、何日後でも構いません。私のエントリーにしろ、皆さんのコメントにしろ、読まれたら何かコメントをお願いします。