安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

そのままというのが、今ひとつよく分かりません(頂いた質問)

そのままというのが、今ひとつよく分かりません。(頂いた質問)

そのままというのは、「南無阿弥陀仏そのまま」ということです。私の方で何かを「する」ことなのか、「しない」ことなのかという考え方は間違いです。
私が、浄土往生し仏にさせていただくのは、「私が何もしなかったから」でも「私がなにかしたから」でもありません。すべて南無阿弥陀仏のお働き一つです。
その南無阿弥陀仏のお働きに、何かを足さねば自分にその働きは現れないという考えが根深くあるので、「何かをした方がよいのではないか」と思ってしまいます。しかし、それが自力の計らいです。

仏の願行のほかには、別に機に信心ひとつも行ひとつもくはふることはなきなり。念仏といふはこのことわりを念じ、行といふはこのうれしさを礼拝恭敬するゆゑに、仏の正覚と衆生の行とが一体にしてはなれぬなり。したしといふもなほおろか*1なり、ちかしといふもなほとほし。(安心決定鈔・浄土真宗聖典(註釈版)P1395.最後の行とP1396最初

「仏の願行」とは、南無阿弥陀仏のことです。南無阿弥陀仏以外には、私の信心一つも行一つも加える必要がありません。
「何かをする」「何かをしない」ということが無ければ、働いてくださらない南無阿弥陀仏ではありません。
「したしといふもなほおろかなり、ちかしといふもなほとほし」と言われるように、親しいとか近いというぐらいではありません。常に寄り添って離れられないのが南無阿弥陀仏です。それに何かを加えよう、加えないようにしようと思うのが計らいです。
それは捨てて、南無阿弥陀仏のお働き一つで救われてください。
先のことではなく、ただ今のことです。

*1:おろか・・疎かなり。(言葉では)表し尽せない。(表現が)不十分である。