顕正新聞*1平成23年2月15日号に、1月23日に行われた2000畳座談会の記事が掲載されていました。
まとめとして、以下のように書かれていました。
雑毒の善
- 地球上のどんな乗り物(JR、バス、飛行機など)にも乗れるが、月(弥陀の浄土)へは行けない。
- 多種多様で多い程よい、生活に必要なチケット
真実の善
- 月へは行くことができる。
- 弥陀から頂く、たった一枚のチケット(南無阿弥陀仏の名号)
善に関しては「多い程よい、生活に必要なチケット」と書いていました。
生活に必要なのであって、往生に関係がないということです。
親鸞会ですすめる善は、よりより生活の為に必要だからやりなさいということです。
ここでは、誰の生活に必要かまでは書いてありませんでした。
では、生活に必要な善を一生懸命すすめる理由は何か?について
19願の教えの通り真剣に善をしなければ、雑行が問題になることはありません。(法友通信より)
19願に勧める善はそもそも生活の為ではないのですが、やらないと「雑行が問題にならない」からとのことでした。
この「雑行が問題になる」
というのは、浄土真宗親鸞会独特の言い回しです。自力の心が問題になるということと同義語でつかっていますが、本願を疑う心は本願を聞いたうえでの計らいであって、善を実行した上でなにかを思うこととはことなります。
「生活に必要な善」を実行してしらされることがあったとしても、それは己の罪悪や「名利の大山」であっても、本願を計らう心にはなりません。
もし、「生活に必要な善」を真剣に実行して「雑行が問題になる」のなら、世の中に「雑行が問題になっている」人が大変多くあることになります。
上記の法友通信でいうような「雑行が問題」になっていないのは、「生活に必要な善」を真剣に実行してしていないからではありません。本願を聞いていないからです。
*1:浄土真宗親鸞会の機関紙