安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「不如実修行の者が死んだらどうなるのでしょうか。辺地に生まれるのでしょうか。それとも六道輪廻するのでしょうか」(不信心さんのコメント)

不信人さんからコメントを頂きました。有り難うございました。

不信人 2012/04/12 16:06
不如実修行の者が死んだらどうなるのでしょうか。辺地に生まれるのでしょうか。それとも六道輪廻するのでしょうか

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20120408/1333836796#c1334214392

「不如実修行の者」ということでしたら、辺地になります。

なぜなら、不如実修行の者とは、先のエントリーにも紹介したように曇鸞大師が以下のように言われているからです。

しかるに名を称し憶念すれども、無明なほありて所願を満てざるものあり。なんとなれば、如実に修行せず、名義と相応せざるによるがゆゑなり(往生論註・浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)聖典P103)

http://goo.gl/Um7je

「名を称し憶念すれども」とあるのは、念仏を称え、阿弥陀仏のことを憶念している人のことです。そのようにしていても「無明なほありて所願をみてざるもの」が、不如実修行の人となります。

不如実修行の者=救われていない全ての者 ではありません。
自力修行を志して悟りがひらけなかった人や、無宗教の人、または親鸞会教義の熱心な実践者はは、ここでいう「名を称し憶念すれども」には含まれません。それらの人は、六道輪廻することになります。

コメントでの「不如実修行の者は死んだ後どうなるのか」とは、いわゆる二十願の行者の結果はどうなるのかということになります。
それについて、親鸞聖人は正像末和讃(のなかの誡疑讃)にいくつも書かれています。その中から、コメントにある辺地という言葉を使われたご和讃から2つ紹介します。

(61)
仏智の不思議をうたがひて
 自力の称念このむゆゑ
 辺地懈慢にとどまりて
 仏恩報ずるこころなし

(68)
仏智不思議をうたがひて
 善本・徳本たのむひと
 辺地懈慢にうまるれば
 大慈大悲はえざりけり(正像末和讃・誡疑讃より)

不如実修行の行者になるのは、仏智の不思議を疑っているからです。仏智の不思議を疑っているから、「不如実修行」といわれているのです。
逆に、仏智の不思議に疑いない人は、「如実修行相応」と親鸞聖人はいわれています。

(52)
決定の信をえざるゆゑ
 信心不淳とのべたまふ
 如実修行相応は
 信心ひとつにさだめたり(高僧和讃・曇鸞讃)

本願を聞いて疑い無いのが信心ですから、信心一つに定まった人は「如実修行相応の者」となります。ですから、その信心が定まっていない人は報土往生はできません。その報土往生がかなわないと言うことは、阿弥陀仏の本願(十八願)に相応しないということになります。そこで、親鸞聖人は、決してそのようになってはならないということで、辺地に生まれようとして自力念仏に励む人を大変厳しく誡められています。

それが、教行信証の化身土文類・真門釈の最後に20願の行者を厳しく批判された文章です。

まことに知んぬ、専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。ゆゑに宗師(善導)は、「かの仏恩を念報することなし。業行をなすといへども心に軽慢を生ず。つねに名利と相応するがゆゑに、人我おのづから覆ひて同行・善知識に親近せざるがゆゑに、楽みて雑縁に近づきて往生の正行を自障障他するがゆゑに」(礼讃)といへり。
 悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもつておのれが善根とするがゆゑに、信を生ずることあたはず、仏智を了らず。かの因を建立せることを了知することあたはざるゆゑに、報土に入ることなきなり。(教行信証化土巻・真門決釈)現代文はこちら

どれだけ念仏一つを称えているひとであっても(専修)、本願を疑っているもの(雑心なるもの)は、報土往生さだまることはないといわれています。
そのことを、重ねて「微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。」といわれています。

この親鸞聖人のお言葉は、決して「辺地に生まれられたらOK」というものではありません。せっかく念仏をしながら、本願を疑っている者は、どれだけたっても「報土に入ることなきなり」と厳しく誡められています。


阿弥陀仏が大変なご苦労をされて、南無阿弥陀仏を疑い無く聞く一つで報土往生が定まるようにされているのに、辺地にいけるかどうかを気にされる不信人さんは、すでに報土往生は断念されたのでしょうか?

阿弥陀仏は決して、不信人さんの報土往生を諦めておられません。必ずただ今救われます。