安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

救われるとハッキリ自覚できるですか?(頂いた質問)

救われると阿弥陀仏のお働きがハッキリと自覚できるのでしょうか?(頂いた質問)

阿弥陀仏のお働きは、間違いなく働いてくださっています。しかし、「ハッキリと自覚」という言葉が、何か智慧が磨かれて悟りを開いたかのようなものだというのであれば、間違いです。
信心は、阿弥陀仏の本願を聞いて疑いないことですから、現在南無阿弥陀仏と聞いている上では、思うとか自覚できるという言葉は合いません。
今月は、全国で寒波が襲い大雪のところも多いです。年末年始には、大雪のために何百台もの自動車が24時間以上動けなかったというニュースもありました。そんな雪で動けなくなった車のなかで、助手席の人が運転席の人に、「大雪ですね」と言うことがあっても、「大雪だと思います」とは言いません。「大雪だとハッキリ自覚できた」ともいいません。それは、現在すでに大雪という状況になっているからです。それに思うとか思わない、自覚できるとかできないという自分の考えは差し挟む余地はありません。

蓮如上人が晩年に詠まれたお歌には、

阿弥陀仏 たすけたまへのほかはみな
 おもふもいふも まよひなりけり

とあります。

阿弥陀仏にまかせる以外には、何かを思ったり言ったりするのは迷いということです。
疑いなく阿弥陀仏の本願を聞く以外には、何かを思えた思えなかった、ハッキリ自覚できた、できなかったは関係ありません。