安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

19願で勧められている善を実行しなければ救われないというのは間違いというのは分かるのですが・・(頂いた質問)

今年初のエントリーです。今年もよろしくお願いいたします。

いろいろなところで話を聞いたり、勉強するようになり、「阿弥陀仏に救われるにはまず19願で勧められるような善をしなければならない」というのは間違いだと分かりました。頭ではわかったように思うのですが、いざ救われようと考えると、やっぱり何かをしなければならないのではないかと考えてしまいます。(頂いた質問)

救われるには、何かが必要だという考え方は、自業自得の因果の道理からいって、自分が救われるという結果があるからには、自らに因がなければならないというところからくるものだと思います。

親鸞会でしか話を聞いたことがない方は、「因果の道理には間違いないのだから」「善因善果 自因自果だから」何か善を実行しないと救われるという結果は来ないだろうと考えてしまう場合があります。

しかし、この考え方は間違いです。
救われるという結果は、頑張ったら得られるという私の行為の結果ではありません。阿弥陀仏の大慈悲によって建てられた本願によって起きることです。
阿弥陀仏の大慈悲が、浄土へ往きたいという人の願いに応じて建てられたのであれば、自ら浄土を願ったり、善を実行した人でなければ救われないという道理になります。しかし、阿弥陀仏の本願は、自ら生死を離れることができない凡夫を哀れに思われて、大慈悲心から起こされたものです。本願の因は、自ら生死を離れることができない私という者がいるからであって、私の願いや善根ではありません。

如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして
 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり(正像末和讃38・註釈版聖典P606

真実を知ったと言っている一部の人に与えられるのではありません。苦悩の有情を捨てられない阿弥陀仏の大慈悲からおこされたものです。大慈悲の必然としての救いであって、私のがんばりの結果ではありません。