otaniさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
これについては、ソイさんより解説のコメントをいただいておりますので、そちらもご覧下さい。
『親鸞聖人が唯信抄文意に、
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100218/1266482118#c1266746579
『観経』の三心を獲て後に、『大経』の三信心を獲るを、一心を獲るとはいうなり。この故に『大経』の三信心を獲ざるを、一心欠くるというなり。この一心欠けぬれば、実報土に生れずとなり。
と書かれています。
大経の三信心を獲る前に、獲ると教えられている観経の三心とは、どんな心なのでしょうか?(otaniさんのコメント)
これに関して、観無量寿経の三心とは、コメントされている部分の直後にある解説の通り
『観経』の三心は定散二機の心なり。定散二善を回して、『大経』の三信をえんとねがふ方便の深心と至誠心としるべし。(唯信鈔文意)
ここで「定散二善を回して『大経』の三信をえんとねがふ」が、回向発願心のことですから、その後に続く、深心、至誠心とあわせて三つが、観無量寿経の三心です。
ただ、ここに書かれてある唯信鈔のお言葉ですが、文末に親鸞聖人は結論として以下のように書かれています。
もし胎生辺地に生まれても五百歳をへ、あるいは億千万衆のなかに、ときにまれに一人、真の報土にはすすむとみえたり。三信をよくよくこころえねがふべきなり。(唯信鈔文意)
観無量寿経の三心は、大無量寿経の三信を獲させんがための方便として教えられてはいるものの、観無量寿経の三心で生まれるところはいわゆる化土であって、ここでは胎生辺地といわれています。
化土の生まれた人の中では、億千万という多くの中からときにまれに一人報土に進むものもいるかもしれないというものであるから、観無量寿経の三心(至誠心深心廻向発願心)よりも、大無量寿経の三信(至心信楽欲生我国)をよくよく心得なさいよ、願いなさいと仰っているところです。
前後しますが、上記の御文の前にも
三信かけぬるゆゑにすなはち報土に生れずとなり。
といわれているように、報土に生まれなさいが阿弥陀仏の本願であり、本当に願っておられるところですから、報土に生まれる三信を勧められたのであって、報土に生まれるためにはまず化土に生まれよとは仰っていません。
「まず三心を」ではなく、「まず三信を」です。「とりあえず化土から」ではなく、「報土」に生まれさせるのが阿弥陀如来の本願ですから、ただ今阿弥陀如来の本願に救われて下さい。