安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

第17願によって、私が南無阿弥陀仏をお釈迦さまから教えて頂くことができました。

前回の補足です。
前回のエントリーで紹介した唯信鈔文意の最後の方に、以下のように書かれています。

おほよそ十方世界にあまねくひろまることは、法蔵菩薩の四十八大願のなかに、第十七の願に、「十方無量の諸仏にわがなをほめられん、となへられん」と誓ひたまへる、一乗大智海の誓願成就したまへるによりてなり。(唯信鈔文意・浄土真宗聖典(註釈版)P703・法蔵館の真宗聖典P617)

「南無阿弥陀仏一つで救う」阿弥陀仏の本願が、大宇宙を隈なく広まっているのは、第17願に「十方の諸仏が南無阿弥陀仏を褒め称える」と誓っておられ、その願が成就しているからだと言われています。

私がこのように念仏を称えさせて頂けるのも、また南無阿弥陀仏と常に聞くのも、第17願にそのように誓われたからです。

続けて、唯信鈔文意には以下のように書かれています。

『阿弥陀経』の証誠護念*1のありさまにてあきらかなり。証誠護念の御こころは『大経』にもあらはれたり。また称名の本願は選択の正因たること、この悲願にあらはれたり*2。(同上)

阿弥陀経に東西南北上下の六方諸仏が、阿弥陀仏の本願に間違いがないことを証明されているのも、この第17願が成就したあらわれです。また、阿弥陀経に六方諸仏が、阿弥陀仏の本願が誠であると証明されている心は、大無量寿経にもあらわされています。第18願で、念仏一つで救うという本願を建てられことは、この第17願にあらわされていると教えられています。

諸仏が褒め称えると誓われた通りにお釈迦さまは、南無阿弥陀仏一つを私に教えて下さり、その教えられたところの南無阿弥陀仏が、私の往生の因となるということです。

それ以上に何も加えることはもう必要ないのが南無阿弥陀仏ですから、さらに善を加えなくても良いと言われたのです。

*1:諸仏が阿弥陀仏の誓願の誤りのないことを証明し、念仏の行者をまもりたもうこと。

*2:称名が本願(第十八願)において選択された往生の正しき業因であることは、この悲願(十七願)にあらわれているという意。