安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

法体づのりについて(最後の学徒さん、orimaさんのコメント)

阿弥陀仏は私を救う力のある南無阿弥陀仏を完成され、私に届けて、救おうなされていると聞いております。

それはすでに私に届けられていると感じるくらいに阿弥陀如来の御慈悲を思えるのですが、実際の心は相変わらず晴れません。
間違いなく届けられているものが受け取れていない、という思いがします。

「そうかといって、もうすでに手段は考えて頂いたのだから、救ってくれるのは阿弥陀仏の仕事だからと阿弥陀仏の慈悲に乗っかるのは、法体づのりになります。」

と書かれておりますが、自分は法体づのりなのかもしれません。

ここで、「阿弥陀仏の慈悲に乗っかる」と言われている事と、
別のエントリーで、
「名号を受け取る」とか、
「南無阿弥陀仏という救いの働きによって救われる」

この違いを聞かせて頂けないでしょうか?
(最後の学徒さんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090924/1253783454#c1254159079

回答します。
「法体づのり」と、「南無阿弥陀仏の働きによって救われる」の違いは、阿弥陀仏に帰命しているかどうかの違いです。

法体づのりとは、別の言い方で言うと無帰命安心のことです。救いの働きが南無阿弥陀仏として、仏の手元に完成したことをもって、安心してしまうことをいいます。
具体的にどのようなものかといえば、以下のようなものです。

とりつく島のなき故に 堕ちる私が、あればこそ
堕とさぬお慈悲があるのじゃと また、お慈悲にとりつけば
やはり、自力のぎゃくもどり(中略)
この機よかろが悪かろが 仏の手元が、確かな故
あなたばかりで、済ますのは 法体づのりの親玉よ(山口善太郎)

実際に阿弥陀仏をたのまずに、南無阿弥陀仏ができあがっているのだからとそこで止まってしまうことをいいます。

続けて、質問を頂いていますので、次のお尋ねです。

(ひょっとして)つまるところ阿弥陀仏の御心通りに
「私が救われているか」
「私が救われていないか」
ということでしょうか?(最後の学徒さんのコメント2)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090924/1253783454#c1254159846

これに関しては、前述した通りです。
弥陀に帰命しているかどうか、阿弥陀仏に救われているかどうかと言うことです。

もう一つのお尋ねですが

「そうかといって、もうすでに手段は考えて頂いたのだから、救ってくれるのは阿弥陀仏の仕事だからと阿弥陀仏の慈悲に乗っかる」

ということが、何故、法体づのりと呼ばれ、悪いのかよく分からないのだと思います。
それ自体が間違いなのか、実際に救われていないから間違いなのか、分からないという状態です。
中々、言いたい事がうまく言えないのですが、どうかよろしくお願い致します。(最後の学徒さんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090924/1253783454#c1254160535

回答します。
「法体づのり」というのは、言葉だけでいえば「この機よかろが悪かろが 仏の手元が、確かな故」ということ自体が悪いのではありません。実際に救われた方も同じ事を言われます。
コメントにあるように、実際に救われていないのに、同じ事をいえば「法体づのりの異安心」となります。

法の素晴らしさだけからいえば、「法体づのり」の言い方になります。類似したものに「本願ぼこり」というものもあります。

されば善きことも、悪しきことも業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまゐらすればこそ他力にては候へ。(歎異抄13章)

(大意)善いということも、悪いということも過去の業のむくいによるものであり、それによって往生がきまるのではない、ひとえに本願をたのむ身になるから他力といわれるのだ。

そこで、実感として

「もうすでに手段は考えて頂いたのだから、救ってくれるのは阿弥陀仏の仕事だからと阿弥陀仏の慈悲に乗っかる」

ということが、法体づのりかどうかというのは、自力の計らいがあるかないかという事になります。

さて、わが身の罪の深きことをば打棄てて、弥陀にまかせまいらせて、ただ一心に「弥陀如来後生助けたまえ」とたのみ申さば、その身をよく知しめして助けたまうべきこと疑あるべからず。(御文章5帖目14通)

御文章のこの部分も、法体づのりの異安心かどうかは、弥陀をたのんだかどうかでわかれます。

ただ、今回のコメントだけでは、最後の学徒さんが法体づのりかどうかは何とも判断できませんので、また別の形でお尋ねいただければよいと思います。

orimaさんについても同様です。このコメントだけでは、法体づのりかどうかは何とも言えません。

自分も最後の学徒さんと同じような感じがします。(orimaさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090924/1253783454#c1254166508