安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

往生といえば、死んで弥陀の浄土に生まれること。往生定まる時が平生(さとるさんのコメント)

肉体持つ人はまだ信心獲得していなくて、信心獲(得はまだ、死んでから)ということなにりますが、肉体有るうちは信心獲得ではなく「信心獲」という状態なのでしょうか?

聖典などを見ていきましても、往生が肉体の滅後と説かれている箇所がみつかりませんでした。
体失後の往生が説かれている言葉を教えて頂けますと幸いです。(さとるさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100316/1268689881#c1268996424

コメント欄にも書いていましたが、エントリーでも書きます。
信心獲得と言う言葉についてですが、信心を「獲得」すというように、一つの言葉で理解するもので、本来は「獲」と「得」と分けられるものではありません。
よって、「信心獲」という言葉もありません。

往生に関しては、飛雲さんからもコメントを頂きました。有り難うございました。
リンク先にも紹介されていますが、

「往生」といふは浄土に生るといふなり。(尊号真像銘文

といわれています。親鸞聖人がいわれる往生とは、死んだ後、阿弥陀仏の浄土にうまれるということです。

「即得往生」といわれる部分以外の、「往生」は、化土往生にしろ報土往生にしろ、死んだ後、化土に生まれる、死んだ後報土に生まれることであって、生きているあいだのことではありません。
報土往生が定まるのはいつのことかといえば、信心定まるときですから、そのときを「即得往生」といわれています。

「即得往生」は、信心をうればすなはち往生すといふ、すなはち往生すといふは不退転に住するをいふ、不退転に住すといふはすなはち正定聚の位に定まるとのたまふ御のりなり、これを「即得往生」とは申すなり。(唯信鈔文意

信心をうれば、同時に正定聚不退転に住することを、即得往生といわれています。

現在生きている間に、即得往生の身になったひとが、死ねば阿弥陀仏の浄土に往生すると言うことです。