安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「他方国土の菩薩とは、いったい誰なんでしょうか」(id:hatsukoixさんのコメント)

コメントを頂きましたが、記事が遅くなり申し訳ございませんでした。

id:hatsukoix 2019-04-03 02:35:59
すみません、質問してもよろしいですか 無量寿経の第41願から第48願までは他方国土の菩薩についての功徳が書かれていて、さらに、他方国土とは娑婆世界も入ると思います その娑婆世界の菩薩=求道者が死ぬまで諸根が具足するだとか、名号を聞いた途端に悟るだとかは、現実に聞いたことがありません ここはどう味わえばよいでしょうか?末法なので、もう菩薩は存在しないのでしょうか?信心を得て不退転となったものが菩薩だと解説している本もありましたが、盲目の念仏者も知り合いにおります 他方国土の菩薩とは、いったい誰なんでしょうか

41願から、48願までは、他方国土とあります。お訊ねのものに該当するものとして、47願を以下に紹介します。

たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、すなはち不退転に至ることを得ずは、正覚を取らじ。
(四十七) わたしが仏になるとき、他の国の菩薩たちがわたしの名を聞いて、ただちに不退転の位にいたることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。

https://bit.ly/2G4mHzu

これは、聞名不退の願といわれるものです。

不退転とは、もともと浄土に往生して不退転の位に入るものですが、親鸞聖人はさとりを開いてはいないけれど、必ず仏になる身に定まるという意味で、現生不退と教えられました。

そういう意味で、南無阿弥陀仏を聞いて往生定まる身になった人、仏になるに定まった人は、ここでいう他方国土の菩薩衆といってよいと思います。南無阿弥陀仏を聞いて疑い無い人は、聞いたそのままに往生が定まり、仏になるに定まり、そこから退転するということはありません。

しかし、親鸞聖人はまた、私たちは臨終の一念まで煩悩の止まない凡夫であると教えられています。阿弥陀仏の本願力により、仏に成る身にして頂きますが、いわゆる「菩薩」ではなくあくまで凡夫に違いありません。