安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

一人一人のしのぎについて追記

前回のエントリーの追記です。
阿弥陀仏の救いを求める同じ仲間を、法友とか、同行・同朋といいます。
そのように、共に求め、一緒に弥陀の浄土に往くということを、真宗宗歌にも歌われています。

わがはらからに伝えつつ 御国の旅をともにせん(真宗宗歌)

親鸞聖人自身も、御同朋と御同行といわれています。

されば、友同行なるべきものなり。
これによりて聖人は、『御同朋・御同行』とこそ、かしずきて仰せられけり。(御文章1帖目1通)

一人一人のしのぎと聞きますと、誰かが勝てば誰かが負けるといういわゆるゼロサムゲームのように思う人があるかもしれません。または、優れたものが勝ち、劣ったものが負ける優勝劣敗の世界だと思われる方があるかもしれません。
そのように考えると、体力的、経済的に厳しい求め方をする環境では、とても他人まで心配する余裕はなくなってしまうのかもしれません。
その根底には、自分も阿弥陀仏に助けられることがあるかどうかわからない不安があるのだと思います。
親鸞聖人が、御同朋・御同行といわれたのは、人とあらそう信心でもなければ、優れているからえられる信心でもないからです。

誰も私の南無阿弥陀仏を先取りする人はありません。ただ待っていればよいということではもちろんありませんが、人と比べて自分は助からないのではないかと不安に思う必要は何もないということです。

ただ今救われるのが阿弥陀仏の救いです。私が救われるのであって、他の人が救われるのではありません。常に、阿弥陀仏一仏と私一人という関係でなければなりません。