安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

子供が神社の祭りに行かねばならないときはどうするか?(フーテンの虎さんのコメント)

フーテンの虎さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

実はわたしには小学一年の息子がいます。
年一回、地元で神社主催の祭りがあり、それに出なければ友達からいじめにあうかも知れません。どうすればいいでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090719/1248003174#c1248060401

結論からいいますと、行事に参加するかしないかは、自由です。
理由は、平太郎の熊野参りと同じです。

一向専念の義は往生の肝腑、自宗の骨目なり(御伝鈔)

と、親鸞聖人は、熊野へ行くかどうかを訪ねた平太郎にいわれました。
あくまでも私たちが、阿弥陀仏に救われ、浄土に往生するかどうかは、一向専念無量寿仏以外にはありません。外の諸仏や菩薩や諸神の力によって、浄土往生できるのではありません。

小学一年生の息子さんですから、どこまで仏法のことを理解されているかわかりませんが、今回のことをご縁に、阿弥陀仏と、神社の神の違いを話されたらよいのではないかと思います。

問題は心のことです。体が一度でも、地元の祭りに参加したら阿弥陀仏に救われる事はないというのであれば、仏法とご縁がある前に地元の祭りで御輿を担いだり、初詣で神社に賽銭を投げたことのある人は二度と助からないということになります。
地元の子供がみな参加する行事ならば、その地域の子供はみな今後も阿弥陀仏に救われる事はないということになります。しかし、そういうことは阿弥陀仏の救いには関係ありません。
助ける力が阿弥陀仏以外にない、ということと、阿弥陀仏以外に向いたことの有る者を阿弥陀仏は助けてくれないということとは違います。
自身も知人も、ご利益があるから神社へ行け、諸仏に参ってこいと勧めているのではありません。神社や、諸仏に参拝することは、阿弥陀仏の救いと無関係なので、積極的に勧める必要はありません。

阿弥陀仏の救いの足しにしようという心で、祭りに出たり、賽銭をなげるということならば、これは雑行でありますから、やってはならないことです。

私たちを助ける働きがあるのは、阿弥陀仏以外にないのですから、一向専念無量寿仏は往生の肝腑であることを、親子で話をするご縁にすればよいのではないかと思います。
体が神社の祭りに参加したら、息子さんが阿弥陀仏に助けてもらえなくなると思われての心配ならご無用です。そんな阿弥陀仏なら、十方衆生は救えませんし、親鸞聖人も平太郎に熊野行きを許可されません。
大事なのは心です。一向専念無量寿仏が親鸞聖人の教えですから、阿弥陀仏一仏に向かって下さい。