安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

阿弥陀経には何が説かれているのでしょうか?(頂いた質問)

阿弥陀経には何が説かれているのでしょうか?(頂いた質問)

阿弥陀経に説かれていることは、大まかにいうと以下の三つです。

  1. 浄土があり、そこに阿弥陀仏がおられること。
  2. それをあらゆる仏様が証明されていること
  3. 浄土に生まれるのは、私の行った善の功徳ではなく念仏であるということ。
  4. それは難信の法であるということ

1.浄土があり、そこに阿弥陀仏がおられること

阿弥陀経には、以下のように説かれています。

そのとき、仏、長老舎利弗に告げたまはく、「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。(阿弥陀経_浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P121)

http://goo.gl/0n0Ly

西方十万億の仏土を過ぎたところに極楽という世界があり、そこに阿弥陀仏という仏がおられて現在説法をされていると説かれています。

2.それをあらゆる仏様が証明されていること

舎利弗、われいま阿弥陀仏の不可思議の功徳を讃歎するがごとく、東方にまた、阿〓〓仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国において、広長の舌相を出し、あまねく三千大千世界に覆ひて、誠実の言を説きたまはく、〈なんぢら衆生、まさにこの不可思議の功徳を称讃したまふ一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし〉と。(阿弥陀経)
(現代語訳)
舎利弗よ、わたしが今、阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえているように、東方の世界にも、また阿〓〓仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざ まな仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、< そなたたち世の人々よ、この 《 阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経 》 を信じるがよい > と仰せになっている。

これと同じことを、東方、南方、西方、北方、上方、下方と六方の諸仏が証明されています。

3.浄土に生まれるのは、私の行った善の功徳ではなく念仏であるということ。

舎利弗、少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。
舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心にして乱れざれば、その人、命終のときに臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と現じてその前にましまさん。この人終らんとき、心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得。(阿弥陀経)

(現代語訳)
しかしながら舎利弗よ、わずかな功徳を積むだけでは、とてもその国に生れることはできない。
舎利弗よ、もし善良なものが、阿弥陀仏の名号を聞き、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心に思いを乱さないなら、その人が命を終えようとするときに、阿弥陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくださるのである。
そこでその人がいよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生れることができる。

浄土の素晴らしさを聞けば、どうすればそこへ行くことができるのだろうかと考えます。それに対して、「少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず」と説かれています。浄土は、阿弥陀仏の願力によってできた清浄な世界です。そこへ行くには、法蔵菩薩が本願を成就される際の、兆載永劫の行と等しい行でなければ往くことができません。その法蔵菩薩の行にくらべると、私たちのする「行」の功徳は「少善根福徳の因縁」といわれて、それでは浄土往生するには及ばないといわれています。


それでは、どうすれば浄土往生ができるのかについて「阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持する」ことによって往生することができるといわれています。いわゆる念仏によって浄土往生ができるのだと説かれています。


私の行う善根による往生を否定されて、念仏による往生を勧めておられます。


この2と3の心について、親鸞聖人はご和讃にこのように言われています。

(86)
五濁悪時悪世界
 濁悪邪見の衆生には
 弥陀の名号あたへてぞ
 恒沙の諸仏すすめたる(浄土和讃_弥陀経讚_浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P571)

http://goo.gl/f6Jaa

4.それは難信の法であるということ

またこの法は信じるのが大変難しいので、「難信の法」と言われています。

舎利弗、まさに知るべし、われ五濁悪世においてこの難事を行じて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、一切世間のために、この難信の法を説く。これを甚難とす(阿弥陀経)
(現代語訳)
舎利弗よ、よく知るがよい。わたしは濁りと悪に満ちた世界で難しい行を成しとげ、この上ないさとりを開いて仏となり、すべての世界のもののためにこの信じがたいほどの尊い教えを説いたのである。このことこそ、まことに難しいことなのである

浄土があるということもなかなか信じる人も少ないですが、その浄土に念仏一つで往生できるというのは大変有り難いことである一方、とても信じられない人もまた多いです。それでお釈迦さまは、「難信の法」といわれています。そして、その難信の法を人に説くことは「甚難」であるともいわれています。


このお釈迦さまが私たちに、これらの阿弥陀仏とその浄土があることと、そこに往生するのは念仏一つであるということを説かれたように、大宇宙のあらゆる仏方が説かれています。「難信の法」であるからこそ、あらゆる仏方がそれが本当であるということを証明されています。


なぜ信じ難いのかといえば、その法があまりにも尊いことであるからです。
そのことを、(3)の部分で紹介しました。この4と合わせて親鸞聖人はご和讃に、以下のように書かれています。

(84)
十方恒沙の諸仏は
 極難信ののりをとき
 五濁悪世のためにとて
 証誠護念せしめたり(浄土和讃_弥陀経讚_浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P571)

http://goo.gl/7LPRi

それだけ信じ難い法であるからこそ、あらゆる仏が証明されているのです。誰でも信じられる法ならば、諸仏が証明する必要はありません。
信じ難い法ですが、それをお釈迦さまが説かれ、親鸞聖人がまた明らかにされて今日私が法を聞くことができます。それは全て阿弥陀仏の本願力によるものですから、難信の法であっても必ずただ今本願を信じ念仏する身に救われます。