安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

流転輪廻が問題なのは誰のことか?(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

私が求めていたことは結局解決できず、実はそれよりもっと深い問題とその解決があるということなのですね。
仏様がご覧になる死の問題がよくわかりません。「流転輪廻を重ねたくない」「流転輪廻を重ねていかねばならないから、死にたくない」というのはどういうことでしょうか?「流転輪廻」とは実際に生まれ変り死に変わりを繰り返すことを仰っていますか?それがなぜ問題なのでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090531/1243768181#c1243773071

回答します。
「流転輪廻を重ねていかねばならないから、死にたくない」とは、流転輪廻をしたい自分と、流転輪廻したくない自分があるということから書いたものです。
流転輪廻とは迷いの世界を生まれ変わり死に変わりすることです。流転輪廻を続けると言うことは阿弥陀仏の本願から言えば、浄土往生できないことをいいます。

浄土往生できないことがなぜ問題なのか?阿弥陀仏にとっては問題だということです。
「若不生者不取正覚」と本願を建てられた阿弥陀仏からすれば、浄土往生できないことが問題なのです。
浄土往生出来るか出来ないかと言うことが、問題になるのは、阿弥陀仏であって私ではありません。元から浄土に生まれることが出来ないもの、流転輪廻から離れることが出来ないものが、流転輪廻を重ねることは当たり前であっても、問題ではありません。一大事でもありません。

此の一流のうちに於て、確々とその信心のすがたをも得たる人これなし。かくの如くの輩は、いかでか報土の往生をば容易く遂ぐべきや。一大事というは是れなり。(御文章1帖目5通・雪の中)

蓮如上人が、浄土真宗の教えを聞いている人の中で、信心決定している人がいない。それらの人は、どうやって弥陀の浄土に往生することができるだろうか、一大事というのはこのことだといわれたのは、誰にとっての一大事かと言えば、阿弥陀仏にとっての一大事をいわれているのです。
確かに、報土往生できないのは、私自身ですが、一大事だからとご苦労をされているのは阿弥陀仏なのです。

流転輪廻したくない自分と最初に書いたのは、「なんとか弥陀の浄土に生まれさせてみせる」という阿弥陀仏の強い願いからおこされた心であって、私の心ではありません。

私にとって問題にならないことが、問題になるのが聞法心なのです。