安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

後生の一大事とは、どういうことでしょうか?(頂いた質問)

後生の一大事とは、どういうことか教えて下さい(頂いた質問)

後生の一大事とは、辞書から意味を引くと以下のように書かれています。

浄土教にありては、浄土往生を後生に期するが故に後生の一大事と称して、往生のことについて警告する。蓮如上人の御文章第1帖第10通には「後生こそ一大事なり」と言い、同第5帖第16通には「誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて」といってある。未来世極楽往生の一大事を云う意味を略して後生の一大事と云ったのである(真宗大辞典・永田文昌堂発行より引用)

該当の御文章の前後を引用します。

信心をとり弥陀をたのまんとおもひたまはば、まづ人間はただ夢幻のあひだのことなり、後生こそまことに永生の楽果なりとおもひとりて、人間は五十年百年のうちのたのしみなり、後生こそ一大事なりとおもひて、もろもろの雑行をこのむこころをすて、あるいはまた、もののいまはしくおもふこころをもすて、一心一向に弥陀をたのみたてまつりて、(御文章1帖目10通・吉崎)

人間は50年100年の間のことであるけれど、往生浄土の一大事(後生の一大事)に心をかけて、雑行をすてて弥陀をたのめと勧められています。

されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。(御文章5帖目16通・白骨)

人間の世界は老少不定だから、誰の人も早く往生浄土の一大事(後生の一大事)を心にかけて、阿弥陀仏をたのみ、念仏申しなさいと勧められています。

阿弥陀仏の本願は、「地獄へおとさない」本願ではありません。「浄土往生させ、仏のさとりを開かせる」本願です。
阿弥陀仏は、自らの力では生死を離れることができない私をあわれに思われて、必ず浄土往生させてみせるという本願を建てられました。

その本願を疑いなく聞いて浄土往生を遂げるのが浄土真宗ですから、「地獄へ堕ちたら大変だ」という気持ちで仏法を聞くのではなく、「浄土往生できなかったら大変だ」という気持ちで仏法を聞くべきです。
「地獄へ堕ちたら大変だ。地獄へ堕ちたくない」は私の願いですが、「浄土往生させたい」は阿弥陀仏の願いです。

親鸞会を退会された方から、「後生の一大事は、必堕無間と聞いていたから、それだけが心に引っかかっていた」と聞きました。地獄へ堕ちるかどうかよりも、往生浄土できないことが本当の意味での一大事です。浄土往生が定まるのは、ただ今のことです。未来地獄へいくのかどうかということよりも、ただ今浄土往生定まるかどうかが大事です。

必ず浄土に生まれさせるという本願をただ今聞いて救われて下さい。