安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

認知症になっても救われるでしょうか?(メールで頂いた質問)

メールで頂いた質問についてエントリーをします。

人間認知症になっても救われるのでしょうか?(メールで頂いた質問)

回答します。
認知症を質問された方がどのように感じて質問をされたかについては、各人によって変わるとことですが、「○○だから助からない、救われない」という条件は阿弥陀仏の本願にはありません。

おほよそ大信海を案ずれば、貴賎緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず(教行信証信巻)

親鸞聖人がいわれるように、真実信心の世界は、身分や、老若男女、罪の多少や、修行の長い短いは関係ありません。
認知症に関しては、記憶障害、認知機能障害があります。

今回のエントリーでは、認知症に限らず、物忘れが多くなったり、記憶力が低下するという誰もが年齢を重ねると直面する症状の場合について答えます。

「自分は物忘れがひどいから」「自分は聞いた話を忘れてしまうから駄目です」ということを言われる方があります。
これは「話を起承転結の順を追って覚えていなければ助からない」「お聖教の御文をいくつも丸暗記できるようでないと助からない」という考えから来ているのだと思います。
そのような疑問について、蓮如上人は御文章に以下のように書かれています。

末代無智の在家止住の男女たらん輩は、心を一にして、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、更に余の方へ心をふらず、一心一向に、「仏助けたまえ」と申さん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、必ず弥陀如来は救いましますべし。(御文章5帖目1通・末代無智)

学問もない、智恵もない一般家庭で生活をしている人たちは、心を一つにして阿弥陀仏をたのみ、もろもろの雑行を振り捨てて、一心一向に阿弥陀仏をたのむ者は、どれだけ罪が深くとも必ず阿弥陀如来は助けてくだされるのだといわれています。

学問をしなければ助からないという考えは、覚えられなければ助からない、無知では助からないという考えですが、そうではありません。
雑行を棄てて阿弥陀仏をたのむかどうかであって、覚えているとか覚えていないの問題ではありません。
かつて聞いた話を覚えているかどうかではなく、助かりたいかどうかの問題なのです。

ただ今救うという本願なので、これから先自分が認知症になるかどうかを心配するより先に、はやく阿弥陀仏に救われて下さい。