安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

自称福徳会員さんの質問での不明点

本体のブログのコメント欄が長大になってきたのでこちらに書きます。

1.三願転入のご文(「久しく万行諸善の仮門を離れ、永く双樹林下の心…」)で万行諸善と双樹林下=体失往生とセットになっている。親鸞聖人が万行諸善の仮門におられたときは18願・19願に進もうと思われていたのではなく、体失往生を願われて諸善をしておられたという理解で正しいでしょうか?
『親鸞聖人は「善知識方のお導きにより、今生で19願を離れられた」とおっしゃられているのであり、「善知識方のお導きにより、今生で19願で教えられている諸善を励まれた」とおっしゃられているのではない』という理解で正しいでしょうか?
(清森問答 私の白道・10コメント欄)

三願転入のご文についての質問ですが、心のそこから言えば、不体失往生の身に救われる前は、やぱり体失往生しかわかりませんから、そういう意味から言えば
「体失往生を願われて諸善をしておられた」
という理解で正しいと思います。
※ただし、最初から死んでから救われようと法然上人から聞かされて、それを目指していたということではありません。あくまで、心の底のことからいえばということです。

ただ、次の質問の意図がよくわかりません。
親鸞聖人は、「諸善を励まれた」ことはない、という意味であるといういみでしょうか?

諸善と弥陀の救いを関係付けようとする心を離れたということで、行いをしたとか、しなかったということを問題にするのは、そのまま、諸善と往生が関係あると思っている心ですから、それをまた自力の心というのです。

※質問の解説を頂きましたが、明日にもエントリーします。