安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「本願=三願」と4月3日親鸞会二千畳座談会で聞きましたが、そうなんでしょうか?

4月3日に富山県親鸞会館で開催された2000畳座談会に行ってきました。
その中で会長が「18願、19願、20願を親鸞聖人だけでなく、七高僧はじめみな大切に教えられている。
だから阿弥陀仏の本願と言うと48願あるけど、私たちと関係のあるのは三願。阿弥陀仏の本願と言ったら三願のこと」と言っていました。私は聞いてておかしいなと思いました。本願と言えば18願の事だと思いますがいかがでしょうか?(頂いた質問)

仰るとおりで、本願と言えば第18願のことです。
親鸞聖人の教えと言えば、第18願の教えのことです。いかにも、親鸞聖人が三願(18願、19願、20願)を教えられたとか、七高僧が三願を中心として教えられたかのように言うのは間違いです。

浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。(御消息1通(末灯抄1)・浄土真宗聖典(註釈版)P737・法蔵館の真宗聖典P629.終わりから3行目)

ここで「選択本願(第18願)は浄土真宗なり」といわれています。浄土真宗と言えば、選択本願のことです。浄土真宗の教えは、第18願のことだと親鸞聖人は仰っています。三願ではありません。
浄土の教えに真と仮があり、真が選択本願、仮は定散二善といわれています。定散二善は、19願であり、20願(定散心で称える自力念仏)のことです。

選択本願というのは、選ばれたという意味ですが、その「選」は、「選取」と「選捨」の二つの意味があります。
「選取」は、選び取る。いろいろとあるなかで善いものを選び取ることです。
「選捨」は、選び捨てる。いろいろあるなかで悪いものを捨てることです。
第18願を選択本願といわれたのは、法蔵菩薩が私の往生の行として、南無阿弥陀仏を選び取られ、それ以外の諸行を選び捨てられたということです。

私をなんとか浄土往生させたいと法蔵菩薩が五劫思惟された結果は、諸行は捨てて、念仏によって救うという第十八願でした。
親鸞聖人も第十八願一つを教えて行かれました。親鸞会的な三願転入を教えられたのではありません。

参照ブログ

「十方衆生」とあるから、19願は私にとって必要だと親鸞会では繰り返し主張していますが、「十方衆生」については、以下の飛雲さんの記事を参照下さい。
18願の「十方衆生」と19願の「十方衆生」: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~
曲がった教えだな、曲がった人物だな、と見るのが真っ直ぐな見方です。: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~