ただ今救われる弥陀の本願を聞きながら、ただ今救われていないのは何が悪いのでしょうか。 | Peing -質問箱-
質問箱には以下のように書きました。
何か悪いところがあるならば、それを直す事で救われます。
「聞き方」だという言い方もありますが、「聞き方」を直したらよいという考えも間違いです。
聞き方よりも、聞いていないというのが原因です。ただ今救う本願と聞いて下さい。
これに加えて書きます。
阿弥陀仏の救いとは、私の何かが気に入って助けると言うものではありません。もしそうなら、頑張った人が救われるという論功行賞の救いになってしまいます。
そもそもの話として「頑張ったらどうにかなる」「だから頑張れ」と阿弥陀仏は本願を建てておられません。自分自身でもどうしようものない状態の私に対して慈悲の願いをおこされたのが阿弥陀仏です。
「ただ今救われる弥陀の本願」ではなく「ただ今救うと仰せの本願」
言い方の問題に思われるかも知れませんが、「ただ今救われる弥陀の本願を聞きながら」と書かれています。何が悪いかという言い方をすると「ただ今救われる弥陀の本願」と思って聞いているからです。
「ただ今救われるということがいつかある弥陀の本願」と思っておられるのでしたらそれは違います。「ただ今助ける」とただ今私に仰せに成っているのが阿弥陀仏の仰せです。そのことを親鸞聖人は本願招喚の勅命と仰いました。
ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり。(顕浄土真実行文類 - WikiArc
・浄土真宗聖典註釈版P170)
ただ今救うの仰せを聞いて、ただ今救われてください。ただ今救うの仰せとは、今称えられる所の南無阿弥陀仏です。
動画について
前の記事で案内したにしのみや聞法会の動画が公開されました。
にしのみや聞法会 2023年10月21日 2-1 宮田秀成師 - YouTube
にしのみや聞法会 2023年10月21日 2-2 宮田秀成師 - YouTube