安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「今自分が唱えているお念仏だけで本当に助かるのだろうか?今、現にとなえていても、助かっていないのではないか?」(頂いた質問)

anjinmondou.hatenablog.jp
前回の記事について、質問を頂きました。

お念仏を唱える回数、時節を問題にしない、お念仏が阿弥陀様の救うというお働きであるからという
趣旨だと思いますが、今自分の唱えているお念仏だけで本当に助かるのだろうか?
今、現にとなえていても、助かっていないではないか?という思いが出てきます。
如来様の御本願を疑う心がでてくるのです。(頂いた質問)

念仏申していても、これで本当に助かるのだろうか?と考える事はよく分かります。
それに対して、親鸞聖人や念仏者といわれる方々が念仏についてそういう思いを持たずに念仏されています。

この違いはどこにあるのでしょうか?

それは「選択本願念仏」という言葉にあらわされるような、「自分で」念仏を選択したと思うか、「阿弥陀仏が本願で」念仏を選択されたとするかの違いにあります。

「自分で選んだ」は不安が晴れない

念仏に限らず「自分で選ぶ」というのは、とても不安なことです。なぜなら「選択肢を間違えた」事態が起きた時には、誰の責任でもない自分自身が全てを負わなければならないからです。ですから、重要な意思決定をする時は、いろいろ情報を調べて、あるいは詳しい人に尋ねた上で決めます。
それでも、これでよかったのだろうかと決めたあとでもいろいろと考えてしまうものです。

例えば、結婚を決めるというのも、現代は自分の意思で決める人が多いのでその分いろいろと考えることも多いですし、そのため結婚に踏み切れないという人も多くあります。それに対して、結婚観の違いはあるものの戦前の日本では縁談をまとめるのが好きな人や親戚がいろいろと手を回して結婚相手を決めるということが多くありました。その場合、不満はあっても「自分が決めた」という不安はありません。

しかし、結婚以上に生死の問題ですから「自分で選ぶ」となると「これでいいのか」という不安はぬぐえないと思います。

「そんな装備で大丈夫か?」

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「阿弥陀仏が選んだ」から必ず助かる

阿弥陀仏の本願の救いに「必ず」という言葉が出てきます。念仏の救いについて言われるもので欲知られているのが、法然聖人の「選択本願念仏念仏集」に出てくる以下のお言葉です。教行信証に引文されているので、そこから紹介します。

正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに(顕浄土真実行文類 - WikiArc・浄土真宗聖典註釈版P186)

称名念仏は「かならず」往生することができる。それは阿弥陀仏の本願によるからである。といわれています。
いろいろな行のなかから、念仏を選ばれたのは「阿弥陀仏が本願で選んだ」ということです。「阿弥陀仏が本願で選んだ」から、「称名はかならず生ずることを得(称名必得生)」と言われます。

ですから、念仏をすることによる「これで大丈夫だろうか」についての「自分が選んだこと」についての不安はありません。


「そんな念仏で大丈夫か?」は、二つに分けられる

念仏で助かるのだろうか?については、そう思う理由に二つあります。
一つは、先に紹介した「自分で選んだ」と思うからです。
もう一つは、阿弥陀仏が信じられないからです。

この二つが、両方ある人もあれば、片方については納得しているという人もあると思います。しかし、多くの場合はこの二つは自分の中で混同していると思います。

いくら「自分が選んだのではない。阿弥陀仏が本願で選ばれた」と思っても、「なら安心ですね」とならないのは、阿弥陀仏が信用できなからです。例えば、何かの製品で「○○社製品なら安心だ」と思うのは、その会社を信用しているからです。いくら「大丈夫です」「私が選びました」と言われても、その人が信用できなければ、その人が選んだものも信用することができません。

では、どうすれば阿弥陀仏を信じる事ができるのか?ということになります。

念仏は阿弥陀仏の働きそのものだから「大丈夫だ。問題ない」

阿弥陀仏が信じられないから信じようとするのも、また難しいものです。そこで私の心をなんとかしようとするのも出口のない道に入ることになりますので、後回しにして下さい。

この念仏そのものは、私が選んだ行でもないですが、行そのものがほかの行と違うのは、これが阿弥陀仏そのものであり。阿弥陀仏のお働きそのものだと言う点です。

称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。(顕浄土真実行文類 - WikiArc・P146)

「私がとなえるこんな念仏で大丈夫だろうか?」といろいろと思われると思いますが、念仏は阿弥陀仏が私を救う働きそのものです。その南無阿弥陀仏が私を救って下さいます。そのように聞いて疑い無く称えるのが、親鸞聖人が勧められた念仏による救いです。

「大丈夫だ。問題ない」