安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「自分が、阿弥陀仏や本願や浄土のことをよく知らなくても、南無阿弥陀仏がもう既に自分の所に届いていることを知るのが急務なのでしょうか。」(頂いた質問)

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Peing質問箱

自分が、阿弥陀仏や本願や浄土のことをよく知らなくても、南無阿弥陀仏がもう既に自分の所に届いていることを知るのが急 | Peing -質問箱-
Peing-質問箱-に頂いた質問です。
以下、回答を書きました。

南無阿弥陀仏のいわれを聞いておられるのでしたら、それ以上に詳しく知らねば救われないということはありません。
南無阿弥陀仏はすでに私に働いておられることを聞き入れたのが信心といいます。

こちらに加えて書きます。

質問された方は阿弥陀仏や浄土については既に聞いておられるのだと思います。このように尋ねられるのは、救われるために急いでやらねばならない事は何かあるという前提だと思います。


もちろん思い違いや、思い込みと言うこともあるので正しく聞かなければならない事はいろいろあると思います。しかし、そういうことを言い始めると、何か学問をしなければ救われないかのような話になってきます。また、 これを知らないと救いに間に合わないと考えておられるのかもしれませんが、決してそんな事はありません。

御文章には、以下のように書かれています。

末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。
これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。(御文章5帖目1通 浄土真宗聖典註釈版P1189)

http://u0u1.net/huwD

ここでも南無阿弥陀仏がもうすでに自分のところに届いていることを知ることが大事とは言われていません。阿弥陀仏をふかくたのむことが大事であると言われています。
それは、どれだけ南無阿弥陀仏は届いていることをただ知っているだけでは浄土に往生はできないからです。すでにこのように質問をされているのは、南無阿弥陀仏が既に自分のところに届いていると言う事を知っておられるのではないでしょうか。


すでに南無阿弥陀仏は、私をただ今救うと呼びかけられています。その仰せを聞いたのが、阿弥陀仏をふかくたのむ(仰せに従う)ことです。
いずれにしましても、急がなければならないのは阿弥陀仏をたのみ、阿弥陀仏にただいま救われることです。ただ今救われてください。