「阿弥陀仏の本願を聞いて、確かにそうだと思ってもなかなか「そうでございます」と受け取れません。どう聞いたらいいでしょうか?」(頂いた質問)
このように尋ねられる方は決して少数派ではありません。私も以前は「理屈ではそうだろうと思うけれども、なかなか納得はしきれない」と思っていました。このような考えの前提としてあるのは、「納得できないものは信じない」という態度です。確かに現代社会では情報が溢れ、またフェイクニュースなるものが出てくるご時世ですから、少ない情報を鵜呑みにするわけにはいかないという態度は日常生活では大事なことと思います。ただし、これはあくまで私たちの日常生活上のことならば当てはまることですが、阿弥陀仏の本願にはあてはまりません。なぜなら、とある政治に関するニュースを目にした時、それが正しいのかフェイクニュースなのかは、一次情報を探せばそれを確かめることができます。また、それを見て納得することもできます。それに対して、阿弥陀仏の本願は、いわゆる「五劫思惟の願」でありますから、私たちがちょっとやそっと考えたくらいで「納得」することは難しいものです。
こういう話は、私も人に尋ねられて説明もしてきましたが、それを聞いてすぐに「そうですか」と思って頂ける場合は決して多くはありませんでした。なぜなら、これまでの私たちの日常生活で「人間が納得(理解)できないけれども、それが正解」という場面はあまり出会うことはなかったからです。
しかし、今日その「人間が納得(理解)できないけれども、それが正解」いわゆる人智を越えたことを奇跡ではなく目の当たりにすることができるようになりました。それが人工知能の発達です。
それを分かりやすく解説したNHKスペシャル「人工知能 天使か悪魔か 2017」の録画を最近みました。その内容は、かなり衝撃的なものでした。
この番組では、近年の人工知能が実際の産業でどのように生かされているのかを紹介するとともに、日本の将棋佐藤天彦名人が、人工知能ボナンザと対戦する「電王戦」の様子と、それらを羽生善治三冠がコメントするという構成でした。
この番組で、実例としてあげられているのが以下のものです。
人間の知性を越える人工知能が、すでに現実社会に進出している。名古屋のタクシー会社では、客がいる場所を指示する人工知能を導入、客の数を大きく伸ばした。人工知能が、人間を評価するという事態も起こっている。シンガポールのバス会社では、事故を起こす危険性の高い運転手を人工知能が見つけ出す。アメリカでは、過去の膨大な裁判記録を学んだ人工知能が、被告の再犯リスクを予測し、刑期の決定などに関わっている。日本のある企業でも、退職の予兆がある人を、人工知能が事前に察知するというシステムを導入した。
NHKスペシャル | 人工知能 天使か悪魔か2017
この番組ではなぜ人工知能が将棋に強くなったのかについて、人工知能が過去のタイトル戦の棋譜5万局を読み込むことを挙げています。その上で、人工知能の将棋ソフト同士が対局をしています。その対局数は700万、人間が仮に1年間に3000局打ったとしても2000年以上かかる数です。
初日では3八金を打ったボナンザに(普通は歩を動かす)、佐藤名人は頭を抱えます。しかし、結果は人工知能の勝利に終わりました。
二日目は更に、人工知能は先手でいきなり玉を動かします。それをみてまたしても佐藤名人は頭を抱えます。私は将棋は殆ど素人ですが、さすがにこの初手に玉を動かすというのはちょっとあり得ない手だと思いました。それでも結果を見ると、人工知能の勝利に終わりました。
この番組中で、人工知能のプログラマーが「プログラムをしたのは自分だけれども、書いている本人にも(なぜ強いかは)実は完全には分かっていない」と述べていました。
また、番組で羽生善治三冠は、こう語っていました。
私たち棋士の直面している違和感は人工知能の思考がブラックボックスになっていることです。膨大な情報をどのように処理して、その結論に至ったのかは分かりません。
それと佐藤名人はこう語っています。
人間同士で打っていると気がつかないうちに、将棋の中のある一つの銀河系にしか住んでいないような感じになっていくんですね。ただもっと広い視点で見れば、いろんな惑星があるかもしれないですし、そうすると今まで気がついていなかった自分自身の持っている面も気がつかされてたのかなという気持ちもあります
いづれも人間で考えることには及ばないことが現実に起きていることに直面している方の発言です。
このように人間の知性を超えるものが出てきた現実をみると、阿弥陀仏の本願のいわれも、「お経の話でしょ」とか「方便なんですよね」とは言えなくなってきたといえます。
大無量寿経には、法蔵菩薩が浄土を建立するにあたって210億の諸仏の浄土を見られてそこから勝れたものを選び取られたと説かれています。
ここにおいて世自在王仏、すなはちために広く二百一十億の諸仏の刹土の天人の善悪、国土の粗妙を説きて、その心願に応じてことごとく現じてこれを与へたまふ。(大無量寿経)
また、その浄土に往生する行として念仏を選び取られました。それも、あらゆる行を見られた上で念仏を選び取られたのですが、その詳細な経緯については、いろいろな経文上には根拠はあるものの、その根拠はなぜそういわれるのかといわれれば、とどのつまりは「ブラックボックス」になっています。
また、210億の浄土のを調べて見ろと私に言われた所で、一日
年に10の浄土を見ても21億年かかります。一年100の浄土でも2億1千万年かかります。こうなると、将棋の人工知能どころではなく、どう考えても「理解出来ない」のが阿弥陀仏の本願です。こうなると「理解できないけれども、それが正解」ということは、阿弥陀仏の本願にそのままあてはまるのではないでしょうか?
将棋の人工知能ソフトに勝てるくらいの人なら、阿弥陀仏の本願のいわれを納得するまで考えて見てもいいかもしれません。ただそれでも結果は変わらないのではないでしょうか?
一 思案の頂上と申すべきは、弥陀如来の五劫思惟の本願にすぎたることはなし。この御思案の道理に同心せば、仏に成るべし。同心とて別になし。機法一体の道理なりと[云々]。
https://goo.gl/heTHP9
(現代文)
「思案のきわまりというべきは、五劫の間思いをめぐらしておたてになった阿弥陀如来の本願であり、これを超えるものはない。
弥陀如来のこのご思案のおもむきを心に受け取れば、どんな人でも必ず仏になるのである。
心に受け取るといっても他でもない。
「われにまかせよ、必ず救う」という機法一体の名号のいわれを疑いなく信じることである」と仰せになりました。
この思案の頂上である阿弥陀仏の本願に同心するかしないかです。どうか、阿弥陀仏の本願をただ今聞いてただ今救われて下さい。