安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

念仏は大切なものと思っていますが、なぜ他力の念仏とならないのでしょうか?(頂いた質問)

念仏は大切なものと思っていますが、なぜ他力の念仏とならないのでしょうか?(頂いた質問)

念仏は、阿弥陀仏が本願を建てらるときに阿弥陀仏ご自身が選び取られたものです。ですから、選択本願念仏と法然上人は仰いました。


念仏を選び取られたということは、それ以外は阿弥陀仏が私を救うためには必要ないと捨てられたということです。それを、短い言葉で表されたのが三選の文といわれているものです。親鸞聖人は、教行信証行巻に引文されています。

それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに(教行信証行巻より・浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P186)

http://goo.gl/xziCR

速やかに生死を離れたいと思うのならば、聖道門ではなく浄土門を選んで入りなさい。浄土門に入ろうと思えば、雑行ではなく正業を選びなさい。正行(念仏)一つになろうと思えば、助業は傍らにして、念仏一つを選びなさい。称名はかならず浄土に往生することができる。なぜなら仏の本願によるからであると言われています。


三つのものを選びなさいといわれているので、聞いた私はそのように選ぼうと頑張ります。しかし、それを元々選ばれたのは阿弥陀仏です。私が考えた結果ではありません。阿弥陀仏が選び取られた念仏を、私が「大事だそうだから」「大切だそうだから」とさらにいろいろと判断を加えて称えるのは自力の念仏です。


「称名は必ず生ずることを得」なのは、「仏の本願によるがゆゑなり」といわれるように、阿弥陀仏がそのように選ばれたからです。阿弥陀仏が選ばれたことを、もう一度こちらで選ぶ必要はありません。南無阿弥陀仏はそのまま私を助ける仰せであり働きであると、疑い無く聞いて称えるだけです。