安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

以名摂物録 後編(松澤祐然述)「49 信者の地蔵供養(其一)」

※このエントリーは、「以名摂物録 後編(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。

※原文には、今日の目から見て差別語とみなすべき語彙や表現もありますが、著者が故人であること、当時の説教本であることも考慮してそのまま掲載しています。

49 信者の地蔵供養(其一)

さて皆様。長々の御話しで雑行雑修を捨てるということが真から底まで解りましたか。何も有る品物を無くするのでもなく持ったものを離すというような物でもない。


六字一つの主となり大悲摂取の内住まいとなった上からは。夫れが絶対の現世祈祷であるゆえに、外に祈祷の用事もないが。用事がないとて諸神諸仏をかろしめるのではない。いよいよ諸仏菩薩を大切にして世間通途の仕事なら。物忌みするもよかろうししめ縄張るもかまやせん。私などは伊勢の大廟に参る度毎に。御神楽もあげ御酒も頂き柏手打って礼をなし。アラ日の本の大神と法衣のままで絶対の大祈祷を捧げて来ます。


私の檀中で今日は丑の日で葬式が出せぬといえば、そうであるかと挨拶し。この普請は鬼門に障ると聞かせれば、そういうものかと聞き流す。御本山でさえ鬼門を切ってあり、内事の方では従来の御稲荷様も祀ってあるということじゃ。こんな世間の問題を一々本気にかかっては、際限のあるものでなし。斯かる僅かの事柄で、間違い出すよな本願のか弱い訳はないゆえに。角菱取れてまめやかに、念仏する身になってこそ。真に雑行雑修を捨てた相というものである。


是について越後国西蒲原郡漆山というところに、大川清治という人がある。その御家内に、信心を頂いて見たれば、余り有り難くて、地蔵様に袈裟衣を寄進したという面白い美談が有る。


話は、多少前後して申し上げますが、大体の事実には決して相違のない話ですから、篤と聞いて頂きたい。去る大正二年の春のこと、私が同村大字河井の長善寺へ、婦人会に参りましたとき。漆山の入り口に立てられてある地蔵様が。えらい美しい袈裟衣を着て御座るので。
「何と有福の地蔵様じゃなぁ」
と驚いたれば、車夫の言葉に。
「貴方も御存知の大川さんの御家内が、寄進せられたのであります」
というので。私はいよいよ驚いた。


あの念仏の行者で御座るおかみさんが、地蔵様へこの寄進、妙なこともあるものじゃと思うていたが。その晩の初夜前に、大川のおかみさんが息子や女中を連れて参った来て、私の座敷へ出られたから。先ず一応の挨拶がすむと、私は聞かざるを得んことになって来た。素より物の解って遠慮の要らぬおかみさんのことであるから。私は有りの侭に話をして、地蔵様にあの寄進。どういう心でなされたかと尋ねたれば。


おかみさんは大笑いをしていわるるには。
「あの地蔵様には、私は申し訳の無いことがありますので。恥をいわねば訳も解りませんが。実はこの子は私の子ではないのであります。」

「オヤ私は、年来貴方の息子さんと計り思うていましたが。」

「ハイ私は子持たずで、是は旦那の子供です。」

「おかみさんの子でなくて、旦那さんの子じゃとは、おかしいね。」

「夫れは内の旦那が妾を持って、それに出来た子供を引き取ってあるので。何方の眼にも私の実子のように見て下され子供も私を真実の親より慕うてくれますが。実は私の子ではありません。」

「妾や子供の話はどうでもよいが。アノ地蔵様の法衣は、どういうのでありますか。」

「サァ是から御話しをせねば解りませんので。松澤さん聞いて下さい。私は昔はほんとうに鬼でありました。旦那が少し遅くでも帰られると、碌々挨拶もせず。お前が亭主の亭で我が儘するなら。私も嬶のカァで勝手にするわ、というので。御飯はいかがと尋ねもせず、寝巻きも出してやろうともせず、真に悪魔でありました。


その内に息子が一人、妾に出来ました。サァ私はいよいよ鬼が鬼になり。残念じゃやら口惜しいやら。妾なんどは詛うても殺してやりたい、息子なんどは噛みつぶしてやりかいような心地して。私も女だ、不具でも病身でもないものじゃ。何としても子供を産んで見せようと、薬やら温泉やら、まじないやら祈祷やら。種々と手を尽くしてかかっても、更にしるしが見えんので。


とどのつまりはあの地蔵様へ、子の出来るまで通いましょうと。毎晩毎晩人目を忍び、分家の嫁を供に連れ。どうぞお前も私の為に祈ってくれ。子供が出来れば、田地一反褒美にやるから、という約束で。南無大悲の地蔵様、どうぞ子供一人御授け下さるようと。一心こめて二人がかりで祈って見ましたが。幾月通うても験がないので、分家の嫁まで恨みました。


私ばかり本気にかかっておるけれど、お前が一向本気に祈ってくれぬ、ゆえききめがないよ、と愚痴をこぼせば。嫁じゃとて、子供より尊い田地一反になるものじゃもの。早く早く地蔵様、本家へ子供を授けて下されと。真から本気に祈って居りますのじゃ。夫れで験がないうえは、嫁も田地の約束が、お流れになるかと思えば、残念でありますよ、と嫁はいうので。何とも困り果てておるうちに。畜生め、妾がまた一人息子を産みました。


サァその時に私の心は七転八倒。頭は毎日火事場同様、ゴンゴンモンモン早鐘の声がする。願いは叶わず、憎い敵にまた勝ち旗を上げられた。身も心も置き場なく。女の瞋恚は恐ろしいものであります。遂には私はヒステリ性の半病人になってしまい。食事も出来ず、ふらふらと、色蒼ざめておるところへ。近隣の女房が誘い来て。

『おかみさん、何程心配なされても、体が痛むばっかりで。旦那のなさる事じゃもの、どうする道もありません。今夜は幸い村の御寺に説教がある。参って少しは心を御休めなされ』
といわるるので。遣り場のなかった胸の苦しみ、少しは気散じにもなろうかと。常に進まぬ寺参り、仕方なくなく連れ立って。人の後ろに身を隠し、説教を聞いていましたが。丁度その時松澤さん。貴方が御出であったので、忘れもしないその晩の御話に。過去の宿業ということを、詳しく説いて下された。


一座の説教で廓然大悟。アア過った過った。アア宿業よ宿業よ。宿業知らずのこの私が、無理の願いを持ち出して、地蔵様へ御苦労かけたは勿体なや。いくら心願かけたとて、前世の宿業が悪いもの、何で子供が出来ようか。内の旦那も宿業々々。馬鹿でも放埒でも御座らぬもの、村にも随分重んぜられておる人が。賎しい女に交わって、離れられんも過去の宿業。夫れを知らずに粗末にしたは申し訳ない。妾じゃとても其の通り。現在主のある人に、一時の花となぐさまれ、生涯日陰に暮らすのも。楽しい訳でもあるまいが、宿業なれば是非もない。それを今迄恨んだことの恥ずかしや。よくよくの業があればこそ、子供が二人も出来てある。子供に罪のないものを、宿業知らずのこの私は。噛み殺そうと思うたは、いよいよ鬼であったかと。思えば御堂の真ん中で、歯を噛みしめて泣き伏して。とても頭は上がりませなんだ。」


おかみさんの話が余り長いから一寸一服しましょうが。説教もたんだ一座で、是ほどのききめがあっては、尊いものでありますが。是も飲み慣れた事のない人が、薬を飲んで、忽ち瞑眩したようなものか。夫れも何かの因縁で、つまらん私の説教が、斯も厳しくきいたのか。但しは地蔵様の御利益か、且つは如来様の御方便、是も宿善開発、時節到来の事であったと思われます。
(50へ続きます)