安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「あるところで『聞思=聴聞』と聞きましたが、それで正しいのでしょうか?」(頂いた質問)

あるところで『聞思=聴聞』と聞きましたが、それで正しいのでしょうか?
(頂いた質問)

聞思と聴聞は、全くイコールとは言えません。
聞思と言う言葉そのものの意味は以下の通りです。

もんし 聞思
本願のいわれを如実に聞いて思いをめぐらすこと、「総序」には「聞思して遅慮することなかれ」(浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P132)とある。(浄土真宗辞典

この聞思と言う言葉については、教行信証信巻と、化土巻に涅槃経を引いて書かれてるところがあります。

またのたまはく(涅槃経・迦葉品)、「信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。(教行信証信巻_浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版

http://goo.gl/ZT4w57

この聞、思の言葉は、もともと聞慧、思慧という言葉から来ています。そこに修慧を加えて聞思修の三慧と言います。

聞慧とは言葉を聞いて理解することです。思慧とは、その義理を深く追求して理解することをいいます。教行信証総序の「聞思して」といわれる「聞思」は本願のいわれを正確に聞くということです。

言い替えると「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」と南無阿弥陀仏のいわれをそのまま聞き開いたことを「聞思」といいます。

それに対して聴聞には、そのような意味もありますが、もう少し広い範囲で法話を聞きに行くことそのものを「聴聞」と言います。また、そう使われていることの方が多いと思います。

上記書いて来たことから「聴聞=聞思」というのは、「全くイコールではない」という意味で間違いです。