安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

公正・公平・平等にいつも私達を思って下さっていて苦しみの原因を明かにし楽にして下さる阿弥陀如来の無限の愛を伝えるのが菩薩という意味でしょうか?(匿名さんのコメント)

   2014/07/04 05:00
不公正・不公平・不平等性のある人間の限りのある愛は、
差別的で、犯罪や戦争につながり仏教が滅することになる。

公正・公平・平等にいつも私達を思って下さっていて
苦しみの原因を明かにし楽にして下さる阿弥陀如来の無限の愛を
伝えるのが菩薩という意味でしょうか?

ハンドルネームがなかったので、仮に匿名さんとします。

愛と慈悲の違いについて、また別の角度から書きます。

仏教での慈悲には三縁という言葉があります。三縁とは、三つの縁ということです。その三つとは、衆生縁、法縁、無縁のことです。

慈悲に三縁あり。一つには衆生縁、これ小悲なり。二つには法縁、これ中悲なり。三つには無縁、これ大悲なり。大悲はすなはちこれ出世の善なり。(教行信証真仏土巻)

http://goo.gl/1Zr8ju

浄土真宗辞典から引用します。

さんえん 三縁
『論註』(真仏土巻引文・註359)に述べられている3種の慈悲のこと。

  1. 衆生縁。衆生の実体があるとみて衆生に対して生じる世俗的な慈悲て小悲ともいう。
  2. 法縁。衆生の実体はないが、個体を構成する五蘊の法体は実有であるとする小乗の聖者のおこす慈悲で中悲とともいう。
  3. 無縁。差別の見解を離れた平等絶対の慈悲で初地以上の菩薩や仏のおこす大悲を言う。

阿弥陀仏の慈悲は、ここでいう無縁の慈悲です。以下、持名鈔より紹介します。

ここに弥陀如来、無縁の慈悲にもよほされ、深重の弘願を発して、ことに 罪悪生死の凡夫をたすけ、ねんごろに称名往生の易行を授けたまへり。(持名鈔)

http://goo.gl/WbqYAZ

言うなれば、私たちが考える「愛」は、衆生縁の慈悲です。阿弥陀仏の慈悲を無限の愛と考えて見ても、衆生縁の慈悲の中で最も純粋なものと考えてしまいます。しかし、阿弥陀仏の大慈悲は無縁の慈悲です。平等絶対の慈悲とは公平とは異なります。なぜなら、公平と言えば、それぞれを個別にとらえたうえで、差別がないようにしているからです。そのような差別もなく、公平にしようということがないのか、阿弥陀仏の大慈悲です。

それを伝えられたのが、仏様です。お釈迦さまも、その阿弥陀仏の大慈悲を伝えられました。そのお釈迦さまの教えを伝えられたのが菩薩です。