安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

会長の「『欲生我国』とあるから、18願へ向かっている」は、真仮を知らない証拠(5月8日親鸞会二千畳座談会より)

19願も20願も18願へ向かっている。みんな18願へ向かってのことですよ。19願も、20願も、本願文に「欲生我国」とある。
19願の善も、ただよいことしたらよい結果がくるというものではない、それは阿弥陀仏の浄土へ生まれるためですから、三願ともに欲生我国とある。(平成23年5月8日親鸞会二千畳座談会参加者より頂いた情報から抜粋)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110512/1305148957

19願も、20願も欲生我国とあるから、18願へ向かっているというのは、これ自体よくわからない表現です。
加えて、「19願の善は、ただ善いことをしたらよい結果がくるというものではない」と、少し前に「善の勧めを非難するものは、天につばを吐くようなもの」「幸せになりたくないのですか」「ファーストクラスに乗りたいでしょう」と言っていたことを、手の平返しで否定しています。

19願、20願はともに、浄土往生を願われたものですが、19願、20願の浄土は化土であり、18願は真仏土であるとハッキリ教えられたのが親鸞聖人です。

しかるに願海について真あり仮あり。ここをもつてまた仏土について真あり仮あり。(教行信証真仏土巻・浄土真宗聖典(註釈版)P371

今回の座談会の言葉を借りると、願海に真と仮があるから、「欲生我国」の我国も、真の仏土と仮の仏土があるということです。
「『欲生我国』とあるから、みな18願(真仏土)へ向かっている」という発言は、「十方衆生とあるから三願はみな同じ」と言っているのと同じ発想です。

親鸞会発行の「教学聖典」にも上記のご文は掲載されています。自分で掲載していながら、その前後も読んでいないようです。

選択本願の正因によりて、真仏土を成就せり。
(略)
仮の仏土とは、下*1にありて知るべし。すでにもつて真仮みなこれ大悲の願海に酬報せり。ゆゑに知んぬ、報仏土なりといふことを。まことに仮の仏土の業因千差なれば、土もまた千差なるべし。これを方便化身・化土と名づく。真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。(同上・P372-373

18願によって成就したのが、真仏であり、仮の仏土は、次の化身土巻に詳しく書かれてあります。
真仏土も、仮の仏土も、阿弥陀仏の本願に報いてできたところなので「報仏土」といわれます。しかし、仮の仏土は、19願の行者、20願の行者の業因が人によって異なるので、「報仏土」といっても人によって異なる。これを、方便化身・化土という。
真仮を知らないから、如来広大の恩徳を迷失するのだと教えておられます。

「欲生我国」という言葉を使うと、18願の「欲生我国」の「我国」は真の仏土、19願、20願は方便化身・化土です。ですから、19願の善を実行するというのは、真の仏土に向かっていません。20願も真の仏土に向かっていません。

「真仮を知らない」から、教義批判に場当たり的に適当なことを言ってしまい、ますます訳がわからなくなるのです。

親鸞聖人の教えは、仮を捨てて真に入れであって、化土を通って真仏土に入れではありません。

*1:次の「化身土巻」のこと