安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「阿弥陀仏に見捨てられるのではないかは思うと不安になります」(頂いた質問)

阿弥陀仏に見捨てられるのではないかは思うと不安になります。(頂いた質問)

阿弥陀仏が貴方を見捨てるということはありません。それは、阿弥陀仏の光明は無礙光であり不断光であるからです。

親鸞聖人は、弥陀如来名号徳で、それぞれ以下のように言われています。

  • 無礙光

有情の煩悩悪業のこころにさへられずましますによりて、無碍光仏と申すなり。(弥陀如来名号徳)

http://goo.gl/OXl97i
  • 不断光

不断光と申すは、この光のときとしてたえずやまず照らし…(弥陀如来名号徳)

http://goo.gl/iIxWVD

このように、阿弥陀仏の光明は、私がどんな煩悩悪業の心であっても妨げられることはありません。また、その光明が途切れると言うことは有りません。常に私を照らしてくださっているので、見捨てられるということはありません。


また、「見捨てる」「見捨てない」というのは、阿弥陀仏を余りにも人間的な意味で理想的な親のように考えておられるからではないかと思います。確かに、浄土真宗では阿弥陀仏を親に例えていうことはよくあります。過去の妙好人でも、阿弥陀仏を親様と言った方もあります。


そこから、阿弥陀仏の大慈悲を親の慈悲に例えることも多いので、質問をされた方も「親の慈悲」の延長のように考えられているのではないかと思います。しかし、親鸞聖人は阿弥陀仏は光明だと仰っています。

「尽十方無碍光如来」と申すはすなはち阿弥陀如来なり、この如来は光明なり。(尊号真像銘文)

http://goo.gl/eTBGKh

この光明は、私の無明を破って救ってくださるお働きです。そのお働きがそのまま抜苦与楽の慈悲のお働きということです。阿弥陀仏の光明が、いつも働いている以上、お慈悲は常に私に働いているということです。

決して、阿弥陀仏から見捨てられるということはありません。むしろ、常にただ今助けると喚びかけられるのが南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏をそのまま聞いて救われて下さい。

お知らせ

6月1日(日)富山県小矢部市の光顔寺永代経法要に講師として話をさせていただきます。
詳細は以下をご覧下さい。
http://shinshuhouwa.info/article/index.php?id=2350