安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「ただ今本願を聞こうと思う一方で、なかなか聞こうとしない自分がいます。どうしたら、この心が聞くのでしょうか? 」(頂いた質問)

ただ今本願を聞こうと思う一方で、なかなか聞こうとしない自分がいます。どうしたら、この心が聞くのでしょうか?(頂いた質問)

ここで大事なことは、登場人物が三人いるということです。
なぜそれが大事なことなのかといえば、阿弥陀仏の本願は元々登場人物は二人しかいないからです。
その二人とは、阿弥陀仏と私です。

阿弥陀仏
↓助ける働き

助ける阿弥陀仏が、ただ今助けると仰せられ、それを私が聞いて疑い無いのが信心です。

このように二者の間の話に第三者が現れているというのが、お尋ねの内容です。そこで「第三者」とは何ものなのかということについて書いて行きます。

上記の阿弥陀仏がただ今助けると私に呼びかけられているのを、眺めているのが第三者です。ここでは「観察者」とします。

A 阿弥陀仏  
↓助ける働き ←C 観察者 
B 私

簡単にいえば、このCは「私」ではなく「計らい」「自力」「疑情」です。

しかし、そもそもの勘違いは質問された方は、Bを「計らい」「自力」「疑情」と思っておられる点です。仮にBが、阿弥陀仏の仰せを聞いたとしたら、それを観察していたCは一体誰なのでしょうか?

また、明日続きを書きます。
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