安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

おさびしやまさんへのお尋ね2点

おさびしやまさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

私の今の理解を申します。「阿弥陀仏の本願に救われたことは自分の心とはちがうところで知らされる。自分の心を見ても何も変わらない。親鸞聖人や蓮如上人がお聖教で喜ばれた言葉を書かれていても、他人が喜んでいても、それはその方たちの味わいであり、私には関係ない。自分の信心が正しいかを、お聖教や他人と比べて確かめる気持ちも起きない。」です。(おさびしやまさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20101005/1286269865#c1286288804

これについては、Rudelさんからもコメントを頂いております。有り難うございました。

おさびしやまさんのコメントで、私が分からなかったところをお尋ねします。お聞きしたいところは2つあります。
1つは、「阿弥陀仏の本願に救われたとは自分の心とはちがうところで知らされる」とは、どこで知らされるのでしょうか?
2つは、「自分の信心が正しいかを、お聖教や他人と比べて確かめる気持ちも起きない。」とは、どういうことでしょうか?

誰に聞かなくても間違いない何かが自分の心の中にできあがると言うことでしょうか?