安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

ただ今の救いについて(ただ今の救いさんからのコメント)

ただ今の救いさんからコメントを頂きました。有り難うございました。

「ただ今の救い」とは、
今日のただ今もありますし、明日になればその時のただ今もありますし、明後日になれば・・・
と、毎日毎日、ただ今があります。もっと言えば、苦しい一瞬一瞬救われたいですが、そのただ今があります。

そこで教えて欲しいのですが、おっしゃるただ今の救いとは、
「毎日毎日、救われ続けていく」ということでしょうか?
「苦しい一瞬一瞬、救われ続けていく」ということでしょうか?
また、救いとは、親鸞聖人はどのように教えられているのでしょうか?(ただ今の救いさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100108/1262907909#c1262927780

回答します。
ただ今の救いとは、「毎日毎日、救われ続けていく」といっても「苦しい一瞬一瞬、救われ続けていく」といっても間違いではありません。
「ただ今」ということからいえば「現在ただ今の一瞬一瞬」の方が正確だと思います。苦しく思っても思わなくても、現在ただ今救われ続ける、南無阿弥陀仏に摂取されるということです。

救いについての親鸞聖人のお言葉ですが、以下のご和讃を紹介します。

真実信心うるひとは すなはち定聚のかずにいる
 不退のくらゐにいりぬれば かならず滅度にいたらしむ(浄土和讃59

真実信心うる人は、阿弥陀仏にただ今救われた人のことですが、現在正定聚の数に入ることができます。そうなった人は、必ず真実報土に生まれることができるといわれています。
救いとは、現在生きているただ今に正定聚の位に定まり、死後阿弥陀仏の浄土に生まれ仏のさとりをひらくことをいいます。

ただ今救われるという点で言えば、同じく浄土和讃に

十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる(浄土和讃82

といわれています。
この「摂取」について親鸞聖人は左訓として「ひとたびとりて永く捨てぬなり。」と書かれています。
阿弥陀仏の本願力におさめ取られて、一度救われると絶対に捨てられることがないというのがただ今の救いです。

何を思っていても、どこにいてもただ今救われますから、ただ今阿弥陀仏に救われて下さい。