安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「私にとっての救いとは、浄土真宗のいう救いです。しかし、正確に真宗教義を理解しようと勉強しようという気持にまではなれません。」(せみまるさんのコメント)

せみまる 2016/05/10 18:59
そうです。私にとっての救いとは、浄土真宗のいう救いです。
しかし、正確に真宗教義を理解しようと勉強しようという気持にまではなれません。
ですが決して教義を否定するつもりも、謗るつもりもありません。
ただ、真剣に教えを追い求めよう、救われようという気持ちになれないのが自分の本心だったりします。

せみまるさんよりコメントを頂き有り難うございました。最近ブログエントリーができずすみませんでした。今日からまた、再開しますのでよろしくお願い致します。

せみまるさんのコメントから、せみまるさん御自身は「浄土真宗の救い」を求めておられるのだと思います。ただ、それを説明する真宗教義を勉強するのにハードルが高いということいわれているのだと思います。

ただ、浄土真宗の救いである、阿弥陀仏の本願によってただいま救われ、信心獲得の身となり、命終われば浄土に往生し仏となるには、「細かく」真宗教義を理解しなければならないのではありません。
むしろ「教義を理解出来なければ救われない」というのは間違いだと、歎異抄にも書かれています。

他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや。まことに、このことわりに迷へらんひとは、いかにもいかにも学問して、本願のむねをしるべきなり。経釈をよみ学すといへども、聖教の本意をこころえざる条、もつとも不便のことなり。(歎異抄第12条)
(現代文)
本願他力の真実の教えを説き明かされている聖教にはすべて、本願を信じて念仏すれば必ず仏になるということが示されています。
浄土に往生するために、この他にどのような学問が必要だというのでしょうか。
本当に、このことがわからないで迷っている人は、どのようにしてでも学問をして、本願のおこころを知るべきです。経典や祖師方の書かれたものを読んで学ぶにしても、その聖教の本意がわからないのでは、何とも気の毒なことです。

お聖教や、真宗の本にいろいろ書いてあることは、一言で言えば「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」です。それ以外のことは書かれていません。

そうは言っても、せみまるさんがこのような質問をされるのは、「学問をしなければ」「正しく理解しなければ」救われないという風潮というのがあるからではないかと思います。もちろん学問も大事ですが、その結果が「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」以外のものが救いに必要であるかのような理解をもつようになるならば、そんな学問は間違いだということになります。


ただ、阿弥陀仏のただ今救うの本願を信じ念仏して救われて下さい。