安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「南無阿弥陀仏の心を聞くにはどうしたらいいのですか?」(すぎさん)「聞くにしてもなにか源泉となるものがあるはずです。」(ずずさん)のコメントより

前回のエントリーの内容に関して、すぎさん、ずずさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

すぎ 2014/01/25 12:47
南無阿弥陀仏の心を聞くにはどうしたらいいのですか?どうしたらはないとか、方法論はないとかお聞きます。聴聞したり本を読んだりしたりしても、同じ所を行ったり来たりしている感じがします。聴聞の視点がずれているのでしょうか。

ずず 2014/01/25 12:59
そうですね。聞くにしてもなにか源泉となるものがあるはずです。
それを認知できない限り手をこまねくことしか出来ないと思います。
空想力を働かせるんでしょうか?もしくは如来が教えるとか?
または我々の心にすでに刻まれているのものがあってそれを引き出し思い出すとか?

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20140124/1390552939#c1390621627

「南無阿弥陀仏の心を聞くにはどうしたらいいのですか?」については、南無阿弥陀仏をそのまま聞いて下さい。音が聞こえてこないと言われるのであれば、口に南無阿弥陀仏と称えてみてください。南無阿弥陀仏の謂れを聞きたい時は、御文章をよくよく読んでみてください。

「聞くにしてもなにか源泉となるものがあるはずです」については、本願がすでに成就していることがそれです。つねに私を助けるためのお働きがあるので、南無阿弥陀仏を聞き入れるときがあります。

すでに聞いておられる南無阿弥陀仏のいわれは、本願が成就したことによってお釈迦さまが説かれたものです。認識するといっても、私が分かるのは言葉だけです。それは南無阿弥陀仏と、それを伝えられた教説以外にはありません。ただ、南無阿弥陀仏はただの言葉ではありません。摂取不捨の真言です。その南無阿弥陀仏が、聞かない私に聞かせて下さっていると聞いてください。

※今週から、キーボード入力をローマ入力から親指シフトに切り替えました。まだ不慣れなため文章が短くなってしまいました。少し時間が経てば、以前のようになると思います。よろしくお願いします。