安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

追記:歎異抄第7条の天神地祇について(え さんのコメントより)

追記エントリーをする予定が遅くなりすみませんでした。

2013/02/20 05:47
その神というのは神社神道の神なども含むんでしょうか?
個人的な経験からそれらのものは仏法を敵視しているような気がするんですが。


yamamoya 2013/02/20 17:47

え さん
コメント有り難うございました。親鸞聖人がここで神といわれるのは、いわゆる日本神道の神は入りません。キリスト教でいう天地創造の神も入りません。
上記のご文にもでてくる、念仏者を守ってくださる仏教での神をいいます。これについては、言葉足らずでしたので、追記でエントリーを書きます。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130220/1361302165#c1361306879

追記で書きます。

「神」と漢字で書けば同じですが、その言葉のさす対象はさまざまです。キリスト教でいう「God」も日本神道の天照大神も漢字で書けば「神」ですが、意味は異なります。
そこで歎異抄にでてくる「天神地祇」ですが、元々の意味としては日本で言う八百万の神とは異なります。
「天神・地祇」は本来インドの神々をさす言葉でした。天神は、天上界の神ということで帝釈天や梵天をさす言葉です。地祇は、地上や地下にいる八大竜王や、閻魔大王などをあらわしています。それに対して、日本で「天神」といえば天照大神を初めとする、天津神をさし、地祇は、国津神のことを指す言葉でした。


天津神・国津神についてはWikipediaより以下を参照下さい。

天津神は高天原にいる、または高天原から天降った神の総称、それに対して国津神は地に現れ神々の総称とされている。ただし、高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国主などは国津神とされている。
日本神話において、国譲りに表されるように、ニニギを筆頭とする天津神に対する移管を国津神が受け入れたと描かれている。ヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。国津神については、記紀に取り入れられる際に変容し、本来の伝承が残っていないものも多い。日本書紀ではしきりにある文として伝承等を引用している点から、その記録文書は後世では失われてしまったようである。
「つ」は現代語の「の」のことで、天の神・国の神という意味であり、「天つ神」、「国つ神」と表記することもある。漢字二字で天津神を「天神」(てんじん)、国津神を「地祇」(ちぎ)とも言い、併せて「天神地祇」「神祇」と言う。「天神地祇」「神祇」という呼称は中国の古典に見えそれが出典という説も存在するが、日本のものとは概念が全く異なる別ものである。(Wikipedia 天津神・国津神 より引用)

http://goo.gl/rFEfy


仏教が日本に入ってくるにあたって、日本神道でいう八百万の神と、仏教で言う仏や菩薩をなんとか共存させようという運動がおきました。これを神仏習合といいます。しかし、そのような神仏習合の考え方にも二つありました。


一つは、護法善神説、もう一つは、本地垂迹説です。
護法善神説とは、神といってもまだ仏のさとりをひらいていない者として、扱います。それらの神が、仏によって救われたならばそのご恩報謝として、仏法を求める人を守るというものです。歎異抄に出てくる天神・地祇はこれに相当します。


もう一つの本地垂迹説は、神と言ってもその本地からいえば仏や菩薩ですが、私たちと縁を結ぶために神となってあらわれたとするものです。親鸞聖人の時代にはこの考えがもっぱら主流でした。


しかし、親鸞聖人はこの本地垂迹説ではなく護法善神説をとられました。そのため、天神地祇といっても日本神道の神ではなく、仏教でいう本来の神を指し、念仏者を守ってくださる方としておしえられました。考えても見れば、本来日本神道で言う神がその通りの神ならば、仏教に帰依するとはとても考えられないことです。したがって、念仏者に敬伏する神とは、仏教に帰依している神ということになるので、元々仏教古来でいう経典に出てくる神ということになります。